神様が祈りに応えるのが遅いと不満を口にしたときは、神様が私たちのように遅れてしまうことがあると言っているのと同じことです。

なぜなら、私たちも何かしらの原因で遅刻したり、時間通りに遅れてしまっているからです。
 

ここでの問題は神様が人間ではないということの理解が欠けているということです。神様は遅れることなく、正しい時間で働きます。

遅刻したりする人は、その途中で何かしらのことが起こり、時間通りにつくことができなかったからなのです。

まず、注意不足や過失が不義(罪)を表しています。 

次に、時間通りに物事が進まないのは、予定を立てた人よりも、交通の混雑、時間、体の不具合などの周りの状況の方が大きいため起こってしまうものです。

それでは、神様が私たちのようにこのような状況に置かれたら乗り越えられないと思いますか?
 

「神様にとって何か難しいことはありますか?」 

 

 

これらのことを読んだ今、あなたは神様が遅れてしまうようなことがあると思いますか?

神様の一番の特徴は「正義」です。神様がすることは全て正しい時に起きることです。

そして、「遅れている」のは、私たちに何かが欠けていることが原因であり、神様に何か原因があるということではありません。

または、私たちが信仰を使って願い、疑わなくても、まだ応えが来ていないなら神様の目的があって起こっていることなのです。つまり、その理由は必ずあるということです。私たちが待つことを学ぶことで、神様がくださるものでもあります。

「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」ヨブ記 19.25 

 

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