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報い

「謙遜と主を畏れることの報いは、富と誉のいのちである。」 箴言 22.4 新改訳聖書 多くのひとにとっては、神様の言葉を子供のように(素直に)受け入れることが難しいものです。つまり、プライドを捨て、謙虚になることが難しいということです。しかし、一つ理解してほしいことがあります。謙虚になれる人は神様に自分の身を委ね、自分の人生での主として受け入れたため、より豊かで幸せな人になることができます。

正義と不義

子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行う者は、キリストが正しくあられるのと同じように正しいのです。罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。(ヨハネの手紙 第一 3:7‐8) 神様の御言葉を実践する者は正義を生きていて罪から離れています。その人たちは悪から自由になり、魂の安らぎを得ることができます。 しかし、不義を行っている者は悪魔を喜ばせていて、その奴隷となってしまいます。だからイエス様がこられたのです。悪から解放するためです。イエス様は高い代価を支払ってくださり、地を流したのは救うためです。新しい人生と新しい心を与えるためです。

綺麗な手

もし、あなたが心を定め、あなたの手を神に向かって差し伸べるなら、 ―あなたの手に悪があれば、それを捨て、あなたの天幕に不正を住まわせるな― ヨブ記 11.13-14 神様の御座に届くためには罪を手放し、全身全霊も全てを神様に委ねる必要があります。そうした時にだけ、聖霊様がその人の中に入り人生を導くことができます。全ての悪から自由になったからです。 そうすることで神様の家に入り、賛美し崇めることができるようになります。

謙虚さと畏れ

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。曲がった者の道にはいばらをわながある。たましいを守る者はこれらから遠ざかる。箴言 22.4-5 人間が最も望んでいるのはお金持ちになったり、周りの人から認められたり、全ての面で繁栄したりすることですが、神様の御言葉には神様を畏れ敬う者たちだけがそのような人生を受けることができると書かれてあります。 神様は人間に自分が進む道を選ぶ権利をお与えになりました。しかし、自分の魂を守る者は自分の心を守ることによってこの世のもので自分の心を汚さないことを決めます。神様から自分を離れさせることができる者から離れます。

神様は祈りを求めています

『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』(マタイの福音書 15:8-9) ただ義務としてだけ言っている言葉は心からではないため、神様を敬うこともありません。 人間は暗記した祈りを何度も繰り返すように教えますが、イエス様は私たちが神様の名を崇めることを教えています。つまり、神様のために分けられた人生を送り、神様を私たちの人生で最も優先するということです。

この愛から私たちを離れさせるものはない

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。(ローマの信徒への手紙 8.38:39) 天からくる愛、神様からくる愛は他に存在しません。この愛は永遠で強い者であるため、決して引き離せるものは存在しません。イエス様がご自分の血を流すことによって表された愛によって今私たちに救われる権利が与えられます。