Categoria: 溢れる源Blog

御父によって種まかれた者

しかし、イエスは答えて言われた。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人の手引きをする盲人です。もし、盲人が盲人の手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」マタイの福音書 15.13-14 神様の御言葉に従うことができない人は弱くすぐに落胆してしまいます。その人たちは根付いていないからです。完全なものではありません。神様から蒔かれた種ではありますが、他の人を導きたい人たちです。何も見えなく、聞こえないのに同じ状態の人をどうやって導きことができるのでしょう?

輝く

そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。マタイの福音書 13.43 神様の子たちは御国で太陽のように輝きます。そこには、闇は存在しません。永遠に光によって照らされます。罪を背負うことはないから救われた魂はとても軽いものです。雪のように白い衣を着るようになります。待ち遠しい日です!

神様の御心

天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。マタイの福音書 12.50 神様を知っている人は神様の御心を行いたいと思います。神様はとても愛情深い神様だからです。神様の家族の一員であるから自分のために命を与えてくださった方に対する深い愛情があります。人間と神様の間でよい関係を気づくためには神様の御心が何かを知り、それを実践する必要があります。

認めるのか拒むのか

ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。マタイの福音書 10:32.33 クリスチャンの信仰の美しいところは自分の信仰を認めるところです。なにがあっても信仰を貫き通します。常に自分の人生によって神様に栄光を捧げることに努めています。たとえその相手が家族であっても、友達であっても、仕事場での上司であっても神様を崇めるためにします。どれだけ他の人に迫害の言葉を受けたとしても自分の信仰を貫き通します。 しかし、ここにも書かれてある通り、神様のことを人前で知らないというのであれば、神様のその最後の日にあなたのことを知らないと言います。

この世を愛すること

世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。ヨハネの手紙 第一 2.15-16 神様が造られた世界は美しく、完璧なものでした。しかし、罪が起きたせいで、人間の中には暴力、自己中心的な考え、不義、見かけしか気にしない考えなどの悪いものがたくさんあるようになってしまいました。しかし、正しい者の考えは神様と繋がっていて、神様を喜ばせることを最も望んでいるのです。

満たされた魂

正しい者は、復讐を見て喜び、その足を、悪者の地で洗おう。こうして人々は言おう。「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる。」詩編 58.10-11 神様の御言葉によって主に照らされている人は自分が受けた祝福を周りにも共有したいと思うことが自然に起こることです。どこへ行っても神様がついていて、導いてくれるという約束があります。何も欠けることがなく、強い者となり、常に命が溢れでる者となれます。神様の御言葉に照らされる人は守られ幸せです。