教会に行き始めた頃は恐らく、反対していたでしょう。行きたくなくても行っていた。その行動が新しい人生の始まりに繋がりましたよね。

牧師が「自分の望みを果たすために毎週来ないといけない」と言ったとき、抵抗しましたよね。しかし苦しい思いは大きく、参加したはずです。そして開放され、自由を手にしましたよね。

集会で「許さないといけない」と聞いた時、反対する感情とは裏腹にあなたは従い、相手を許し、解放され、自由になりましたよね。

十分の一や供え物について聞いた時、反対する気持ちがあったにもかかわらず、神様の御心であると知った時には積極的に自らするようになり、成功しましたよね。

お金以上にも、自分を委ねなければいけないということを理解した時、長い間葛藤したはずです。しかし、ふと気づいた時にはもう祭壇の前で神様に全て委ねていたのではないでしょうか。全てが変わり、神様からの「全て」である聖霊様を受けましたよね。

時は流れ、多くの人に自分の証を言って、人を助け、神様につかえるようになったはずです。(大概は反対されつつも、あなたは神様のためであると知っていたので全力で仕えましたよね)教会では責任が与えられ、地位を持つようになった。見本になりましたよね。

そんなある日、あなたは自分の地位をみて、敬意され、認められ、意見を述べる権利を持つべきだと思ってしまった。もう反対されるのを嫌がり、失ってしまった。

そう、延べ伝えてきたこと全てを否定した時にあなたはそれまで手に入れていったものを全てを失いました。過去の(落ちぶれ・さまよい・恥をかいていた)自分を忘れ、天狗になって、自惚れ、遠まわしにそれまで手を差し伸べてくれていた教会はもう自分には相応しくないのだと言い、出て行ったときに全てを失ってしまったんです。

なので今の自分は誰よりも優れていて、誰よりも賢く、誰よりも上手くできると思っているなら、好きにして下さい。
もう何も反対はしません。

あと、何かしてしまっていたなら謝りますよ。

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