「聖霊様の洗礼」について話をする時に、クリスチャンの頭に浮かぶのは異言の言葉で語ることです。

 

神様を求めたい、自分の人生を変えたい、自分の体を神様の居場所にする気持ちすらも何もない。
ただ、異言の言葉で語りたいだけです。

 

異言を語りたい望みは、聖なる事だと見えますが、神様と何の関わりもありません。その前に、欺く霊によって異言を語る事だけを注目させている。それによって、感情的に流され、悪霊は人間を欺き、異言を語るようになります。

 

だから、多くの人間を欺く教会に交わり、聖霊様を受けた印は倒れたり、動物のように歩いたりしています。それ以上の異形は精神的な識別の欠如である為に正しい事が分からなくなっている。

 

ただ、異言を語りたいと言う目的の為に、聖霊様の洗礼を受けたいと望んではいけません。もし、聖書にそう書かれているとしたら問題はありません? しかし、神様の霊を受けて、異言を語らなくても問題があると思いますか?異言を語らないと言うだけで、神様が働きかけていないと疑わないでください。

 

聖霊様の洗礼は、異言を語る事だけではなく、神様の召使がこの世で神様の御子の復活の証人となる為です。

 

さらに、腐敗した偽善の世界では、善悪を見分ける方法は?神様の御心に基づいて、誰が誰なのかを知り、付き合い、結婚する事ができるのか?

 

御国の為に役に立つ、専門分野とはなんですか?
どの教会が真の神様の教会ですか?
神様の御言葉を伝えているのに偽善者かそうでないかを見分ける事ができるのか?
麦と毒麦の見分け方は?
神様の声と悪魔の声をどのように認識するのですか?

 

上記の疑問、その他の疑問は、聖霊様の洗礼を受ける時に全てを解決します。

 

ご自分の子を真理の道に導く為に聖霊様以外に誰もいません。

 

主イエスがこう言いました:『しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。』ヨハネによる福音書16章13節

 

我が神なる父、主イエス様の御名によって、私たちを反キリストと欺きの霊からお守りください。

One thought on “異言の言葉”
  1. kimie より:

    神様の霊は清く、正しいものです。マセド監督のブログを読んで、深く理解しました。悪魔は人を騙して異言を語らせたり
    偽預言者を使い、真実の道から遠ざけます。私達は常に神様と一緒にいて、神の声に従って生きていきます。

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