聖書で完全さについて何と書かれているのか見てみましょう。

「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」創世記17章1節

つまり、完璧になれるということです!神様の御前で生きていけば十分です。しかし、どうすれば毎日、毎時間そうして生きていけるのでしょうか?これが本題です。神様が難しくしているのではなく、私たちを神様の御前から遠ざける傾向をそれぞれが持っているのでほぼ不可能だと言えます。

忙しかった一日の後、御業でも神様の僕が「休みたい」と思うのは普通です。もちろんいけない事ではありませんが、その「休み方」に問題があります。例えばダニエルの断食中、私たちは世の中のエンターテインメントに関する情報から遠ざかりますが、そういう時、どういった休み方をしますか?クリスチャン映画を探しますよね。すなわち、私たちはまるで第三者が必要な安らぎを与えてくれるかのように遠回しに「休もう」とするものですが、そうはいきません。クリスチャン映画を鑑賞している間、私たちは休まずに「楽しんで」います。

エンターテイメントは近代で最も気を散らす元となっています。そのほとんどが悪影響にはならないと思われがちで「リラックス方法」としてとらえられてしまっています。そして、結果的には、神様の存在から遠ざかってしまうことには気づくことはありません。例えば、一緒にいる人がずっと携帯ばかりをいじっているとこの状況がはっきり理解できます。隣にいたとしても、そこにいるだけであって、一緒にはいないようなものです。神様との間でも同じことが起きています。神様はすぐ側にはいますが、あなたは神様の存在にいるのでしょうか?

「神様の存在にる」というのは、一日中跪いて祈っていることではなく、一日中神様のことを考えていることを意味します。もちろん毎日やることはありますが、神様のことを考えられない程ではないはずです。しかし問題は、こころの中では何でも知っているのだと思い込むことです。結果的には日々の中で私たちは神様のことを考えなくなってしまいます…だからこそ完璧にはなりません。

信仰を保ち続けましょう。

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