主イエスは、受けた力で何をしましたか?

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」マタイによる福音書28章18節

私たちはこの力について聖書に多くの箇所に書かれている事を見つけます。

子供達 – まだ愛する力を持っていないなかった弟子たちは、子供達が彼に近づくことを弟子達は望まなかったが、主は言いました:「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」マタイの福音書 19章14節

姦淫 – 彼女は法に従って石打ちされましたが、当時、思いやりの力でいっぱいの主イエスは言いました:「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」誰も残らなかったです。「今からは決して罪を犯してはなりません。」とイエス様は言いました。ヨハネの福音書 8章7〜11節

ザアカイ、ニコデモ、ラザロ、病人や泥棒、そして多くの人々は、主イエスを通して信仰、慈愛、愛、救いの力が彼らの生活の中に入ってくるのを見ました。それでは、なぜあなたはその力を望んでいますか?

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます・・・」使徒言行録1章8節

聖霊様を受けた人の人生が変わるのは事実です。神様が自分の中に住んでいるので絶対に敗北、失敗や虚しさになる事は不可能です。しかし、その力をなぜ受けたいのかを定義する必要があります。あなたは個人的な関心を満たし、成長し、あなたの夢などを満たす為ですか?

聖書は、ペトロとヨハネは、サマリアに行ってそこに行った人達の頭の上に手を乗せて、御言葉と聖霊様を受けました。
シモンは、同じ力を貰ったら成長できると思って、弟子達にお金を捧げようと聖書に書いています。

「使徒たちが手を置くと聖霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、」使徒言行録8章18節

彼の心は神様の御前で誠実ではなかったので、ペトロが悔い改めなければならないと述べました。
それについて考えると、あなたは神様に聖霊様を受ける為に何を差し出しますか?
聖霊様は、人が救いの為に渇き、奉仕する強い願望、主の証人であること、単に祝福された証だけを伝えることではありません。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」使徒言行録1章8節

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