人が一番使う3つの言い訳を知っていますか?下手したらあなたももう使ったことがあるかもしれません。
「私完璧じゃないし/完璧な人はいないよ/みんな間違えるもんだ」
間違っていなくとも、繰り返し間違えったことをし続ける言い訳に使うのは決していいことでも、誇らしく思える態度ではありません。
だから変わらない人がいます。間違えることに飽きて一気に変わるのではなく、しょうがないと思って言い訳をし続ける人がいます。
主イエスが捕まる前、私たちのために祈り、弟子たちが父なる神様に願ったその言葉を書き残すために大きな声でこう言いました。
『わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。』ヨハネによる福音書/17章20-23節
イエス様が私たちの為にした祈りは、私たちが人類に対して抱いている観念を覆します。神様と一つになることで完璧になれるということです。神様とイエス様が完璧であなたが神様たちと一つの霊なら、あなたも完璧になる事ができるということです!
イエス様を信じない人々との区別になる地の塩、世の輝き、許しなどイエス様が幸いなことについて教えていた時、私たちが持つ観念を打ち破る戒めで話し終えました…
「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい
」マタイ書/5章48節
話をまとめると、よく耳にする「完璧じゃない」という言い訳は、主が私たちに教えている事と矛盾しています。神様の御心を行い従えば、神様と一つになり、神様に似通ることができます。
単純な話ですよね。