神様はえこひいきをしませんが、中には神様が使えない人がいます。
神様は貧しい人・弱い人・罪人とでも働きますが、怠け者と状況に満足してしまっている人の人生には何もしません。
聖書にも確認できます。自分のために世界がうまく動くのをひたすら「寝転んで(何もせず)」待っていた人には神様が現れることはありませんでした。見本も山ほどあります。ダビデは羊の群れの面倒をみていて、モーセは義父の家畜の群れを世話し、イエス様に選ばれた弟子はついて区為にやっていたことを全て止めていた、つまり、仕事をしていました。
ギデオンもまたその一例です。神様が現れたとき彼は働いていました。
「さて主の使がきて、アビエゼルびとヨアシに属するオフラにあるテレビンの木の下に座した。時にヨアシの子ギデオンはミデアンびとの目を避けるために酒ぶねの中で麦を打っていた…」士師記6章11節
ギデオンには不利になるような弱点があるだけでなく、家の中にバアルの祭壇があったにもかかわらず、ギデオンは洞窟に隠れていた他の人と同じように怖気づきませんでした。更に酒ぶねは麦を打つのには相応しくはありませんでしたが、それでもギデオンは何かしなきゃいけないと思って行動をしました。そして神様はその念をみました。
怠け者は言い訳をする
最初から、神様が人を創ったときまず与えたのは「やること(役割・仕事)」でした。
「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた…そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた…」創世記2章15,19節
エデンの園と動物の名を決める役割はアダムにありました。働く意欲は神様が私たちに期待している徳の一つです。怠け者は常に言い訳を言っているからこそ神様には使われません。また、神様の人である限り、状況に満足してしまうような、怠け者の精神を持ってはいけません。苦しみに慣れて、天から解決(祝福)が来るのを待っていてはいけません。