神はなぜあなたと結婚を望んでいるのか?

人がお互いに結婚しようと決めるのは、生涯を共にしたいと思い、誓いを交わし、責任をもつものです。
結婚とはつまり、生涯を共に生きていきたいという確信と相互に尽くし合うことです。

しかし、現代結婚は、聖書に書かれている「モデル」と矛盾してきています。人々はこの祝いを「美化・ロマンチック」なものにしています。花嫁のドレス・披露宴・出される飲食・会場などを重視しすぎて、祭壇をないがしろにしてエキゾチックな場所で式を挙げています。そうして、結婚の本当の意味への焦点を見失っています。

➤ 結婚するとき、人はなぜ祭壇を避けて(遠ざかって・逃げて)いるのでしょうか?

それは、祭壇には重要な「意味」があると人は知っているからです。神を結婚式の「承認」にするということは、約束を守る・責任・けじめも一緒にかけているのと同じことです。つまり、ロマンスとは無関係で、自分の言葉に責任を持ち、「どんな時でも」生涯相手のために犠牲を行い続けることなのに、人々はこの「死がふたりを分かつまで」の永遠を誓って結婚するのを嫌がっています。その多くは、「どんな」状況でも一緒にいてくれる相手が欲しいと思いながらも「時(生涯)」はどうでもいいと思っているのが現実です。

家族崩壊という現象がその反映です。多くの人は、結婚というれっきとした言葉を守る「約束」を嫌がるせいで、「誓い」がもつ本来の意味を嫌っています。

➤ 神との誓い

「誓い」とは言葉を交わすことから来ています。誰かと約束の言葉がある以上、最善を尽くして果たさないといけません。約束を守る人は発言を撤回はしません。だからこそ約束するときは慎重に考えてからします。
神も一緒です。聖書でイエス様が花婿で教会が花嫁だと書かれているのは、神が私たちと結びたい約束を表しています。主イエスは、婿が嫁を責任持って受け入れるのと同じようにあなたを受け入れたいと言うことです。

男性が女性と結婚すると、その女性(とその両親)に彼女を守り、両親と一緒にいた頃にあったもの少なくとも与えると言っているのと同じことです。つまり、「妻」となった女性の責任を取るのは「夫」になったということです。

イエス様も教会の為にしたことです。イエス様は「花嫁・嫁・私たち」を救うために自ら命を捧げました。イエス様は十字架で死から私たちを守るために命を捧げました。だから私たちの命はイエス様の責任です。

➤ 書かれている通り

「わたしが備えているその日に彼らはわたしにとって宝となると万軍の主は言われる。人が自分に仕える子を憐れむようにわたしは彼らを憐れむ。」マラキ書3章17節

言い換えれば、神と「結婚」すると、宝石のように接してくれて、いと高きお方の隠れ場所で守られるようになります。

➤ 全てを委ねる

神との「結婚」はあなたの全て・完全に委ねる・約束・誠実さを表します。その「結婚」がうまくいくためなら犠牲を惜しまない

➤ その「結婚式」の為に準備を整えましょう

「わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。」黙示録19章7節

私たちもこの花嫁と同じように、8月23日・日曜日に行われる「小羊の婚宴」のために準備をしています。
結婚をする人はその日付を忘れることなく、その日を迎えるために日に日に自分を磨いていくものです。
あなたもこの日の為に準備をして、花婿を待ちましょう。
詳しくは、080-3219-4360 までSMSか、お電話ください。

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