一つ目、主の霊

『その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。』イザヤ書/11章2節

この節では聖霊様の7つの徳が明かされています。「主の霊、知恵、悟り、深慮と才能、主を知る知識と主を恐れる霊」の7つです。これらは決して、7つ別々にある霊ではありません。聖霊様は一つであって、これらは本来のありかたを表す7つ、それぞれ違う性質の事です。

そして、それぞれを理解し、私達の人生を通して働きかける事を望み、そうさせる事が重要です。これらの7つの徳はどれも、幸福感や絶望、愛情、憎しみ、慈悲、反感などの感情とは何のつながりもありません。また、その7つの素晴らしい徳を常に変化する感情と関連付けようとするのは、大きな間違えです。それらの徳は全て思考や理性、賢い信仰とつながっています。

本物で効果的な信仰が欲しければ、感情より理性、それも神様の御言葉に基づいている理性を(使う事を)選択しなければいけません。

1. 主の霊

つまり、主イエスの中にあって、導きとなり、強めた霊が私たちの中にも入るという事です。そうなれば、私たちは神様の性質を受け継ぎ、神様と同じような見方や聴き方、理解の仕方や考え方ができるようになります。

この世には基本的に2つの「精神(霊・生き方)」が存在します。そして、私たち自身でどの「精神」に誘導されるかを決めなければいけません。世が持つ精神(サタンの霊)なのか、主の霊(イエス様の霊)なのか。

主の霊を受けると瞬時に生じる「効果」の一つとして、世の中と対立するようになるという事があります。ヤコブ書4章では「世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。」と書かれています。ですので、主の霊を受けると世は私たちの「友」ではなくなります。なぜなら、ひたすら自分の欲を満たす為だけに生きている人々と私たちの考えや望み、行動は全て違うからです。もちろん、この世にいる限り、救いを得ていない友人や親族、同僚が周りにいますが、彼らと同じような考え方や話し方、生き方をしません。例え、その人々が私たちを嫌い、あざ笑い、もしくは迫害したとしても、救いを必要としている魂として彼らをみます。

聖霊様を受ける他の「効果」として、イエス様が地上にいた時と同じように、神様を私たちの面倒見の良い父(ガラテヤ人への手紙/4章6節)と見なせる事です。私たちは、神様との距離を大胆に縮め、答えてくれると信じて必要な事を願う事も、悪を追い払う為に授けられた権威を使ってこの世での勝利を定める事もできます。主イエスもまた、このように生きていました。なので、私たちも主イエスの霊を受ければ、同じような歩みができるという事です。

他の「効果」として、私たちが普通に見て信じられないような状況に置かれたとしても、神様の御心が何か霊的な判断ができる事です。聖霊様は、私たちの見る物や感じる事の裏にある霊的な世界の真実を見させ、何が起きても明るく、強くいられるように手伝ってくれます。
これらの徳は、自分たちで作り出す事はできません(決して自動的に見に付くものではないからです)。主の霊だけが私たちにそのような徳をくださるのです!

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