『その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。』イザヤ書/11章2節

聖霊様の3つ目の特性は悟りです。世の中や周囲の人、状況、または神様の声を超自然的で奥深い意味をもって理解することです。この悟りを一般的な頭脳と比較しようとしないで下さい。どんな優秀な人でさえ、神様に基づいて生きている普通のクリスチャンと比べると愚かで盲目な人と見なされます。

ソロモンが悟りを願った事に神様は喜び、ソロモンが望んでいた以上に祝福をしました!アビガイルとダニエルもまた、旧約聖書で神様から来ていた悟りによって知られていました。アビガイルは後に、ダビデ王の妻となり、ダニエルは外国人でありながらもペルシアで次に高い地位へ昇格しました。これらは神様から来る悟りの力の幾つかの例えです。

その一方で、強大なネブカデネザル王が神様を無視し、自らの行いを誇った時、悟りは彼から離れ、まるで野生のようになり、動物と同じように草を食べ始めました。神様が偉大なるお方であると彼が認めた時やっと、悟りを取り戻し、神様は彼が再び王になる事を許しました。すなわち、悟りは神様への畏れがなければ存在できません。

イエス様が死者から戻って来た後、弟子は全員混乱し、空になった墓を見る事を怖がっていました。イエス様が復活したのだと天使に言われた後でも彼らにとって、とても理解しがたい事でした。その日の昼にエマウスに向かう途中の弟子2人がイエス様を見かけましたが、悟りの霊を持っていなかった為、自分たちの先生(イエス様)と直接話していたにも関わらず、気づく事はありませんでした(ルカによる福音書/24章32節を読む)。

その悟りの霊がなければ、神様が私たちに授けたい偉大な祝福を見逃してしまいます。それは、私たちの理解力がこの世の中によって麻痺されてしまっているからです。悟りの霊は、私たちが神様の御言葉を読んだ時、神様が何を仰っているのか、そして、どう実行すればいいのかはっきりと理解させてくれます。悟りは、私たちが問題の真っ只中で信仰を使った時、私達のために戦う準備ができている天使の軍隊に気づけるように目を開いてくれます。

悟りは、神様と比べて悪魔はちっぽけな存在だと見せてくれるので、苦心の時であっても私たちが休めるように安心をくれます。こうすることで、たとえ難問であっても解決方法が見つかります。なぜなら、私たちの理解力がこの世のもので制限されず、霊的な領域で何が可能なのか、より明白で注意深く理解できるようになるからです。なのでこれ以上、聖霊様と悟りが無いまま生きて行く意味はありません。

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