神様が霊のであるのなら、なぜ、十分の一や献金の掟を定めたのか?

神様が十分の一や献金の掟を定めたのは、イスラエルの国民が神様の御前に来た時、その心を裁く為に定めました。(出エジプト記/ 23章 15節)

当時、異邦人(イスラエル人ではない、違う国民)には、この掟を知る権利がなかった為、明らかにされませんでした。

十分の一は、神様はこの世界と自分の人生で唯一の神である事を実践的に認める事です。十分の一者の人生で誰が最優先されているのかは、初物(収入や何か金銭的的なものを得た時に、最初に十分の一を分ける事)で表します。

九十分の一を祭壇に捧げて、神様に十分の一を捧げなかったら、神様を拒否している事です。

十分の一は神様が作り、献金は私達の神様に対する気持ちの度合いを表します。

十分の一は一定の金銭に対して、献金は一定ではありません!寄付金は捧げる者の気持ちや喜びを表します。(コリントの信徒への手紙二/ 09章 07節)

献金は捧げた者が捧げられた者に正確に表します。プレゼントと同じです。プレゼントを与える人は、プレゼントでその人に対しての何を感じているのかを表現します。

献金も同じです。献金は言葉で表せない、捧げた者の神様に対する拒否の気持ちか神様を愛する気持ちを表現します。

自分の「クリスチャン」としての、人生が悪いと言うなら、あなたの献金に神様の答えがあります。献金は捧げた者の味方の証人か、敵の証人になる事もできます。

『あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。ルカによる福音書/ 06章 38節』

献金の価値は金銭ではありません。献金の価値は質(気持ち)にあります。ルカによる福音書/ 21章 02節〜04節の節に量(良い物)は質(最良)の敵であると、イエス様は教えます。よく読んで、黙想をしてください!

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