人が生まれた途端、医者はへその緒を切るものです。つまり、人は他の人とくっついて生きるために創られていないということです。神様は人をユニークにするためにして創造されました。

それでも中には人の反応を窺って生きていく者もいます。必要以上に人からの評価を気にしてしまいます。

神様は決して血族関係で人を天国には入れない

つまり、神様の御前に立ったとき、私たちの行動一つ一つが意味を成すということです。私たちには自分たちのとった行動の責任があるのです。

自分の行動の責任は自分でしか取れない。神様はそうしてきています。それもまた正しいのです。もし、自分が赤の他人の行動の責任を取らなければいけないような状況を想像してみてください。

また、他人の考えを探って、どう思っているのか知ろうとしない方がいいです。それは、本来であれば、自分の為にやらなければいけないことのために使わなければいけないエネルギーまでを消耗してしまう行為です。

聖書に出てくるアドバイス

一つ目の詩篇で神様に従っていない人の意見を気にしてはいけないことが教えられています:「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。」詩編1:1

これは、信仰を使って生きていない人に相談したり、何らかの“ 輪 ”に認められたいと思う人の身に起きることです。

もちろん、この世で(意識的に)罪を犯し続けて生きる人を完璧に避けて生きることはできないとしても、好んでそういった人に囲まれて生活する人もいます。神様を求めはするが、世のことも気になっています。

すなわち、聖書は私たちに災いの元となることや仲たがいを生み出す者と関わってはいけないと教えてくれます。

土台・根元からしっかりと神様に根付いていれば、外や周りの問題を気にする必要はあるのでしょうか?強風であろうが、暑かろうが関係ありません。どこに根付いていて、誰に支えられているのかをしっかりと知っていれば、他人を気にしません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です