あなたはこのようなコンプレックスを持っていないかも知れません。多分あなたの身にはなかったかも知れません。もしくは克服が出来たかもしれません。この出来事のせいでいくつもの機会を逃したかもしれません。そのコンプレックスの名は“いかなる者か?”
彼に頼む自分はいかなる者か?
自分の意見を言うのに自分はいかなる者か?
彼の失礼をする自分はいかなる者か?
自分より特別な人が部屋にいるのに自分はいかなる者か?
私を裁く自分の過去を前にして自分はいかなる者か?
これを買う自分はいかなる者か?
あの服を着る自分はいかなる者か?
あの人のような給料を得る自分はいかなる者か?
面白いことを言う自分はいかなる者か?
誰かを教える自分はいかなる者か?
この会社に入りたての自分はいかなる者?
いかなる者か...いかなる者か...いかなる者か?
このような問いに答えはすぐ頭に浮かんできます。「自分は醜い存在、自分は値しない、見直してみろ、一人でいた方が良い」
あなたは今後このよう考え方を忘れて、このような声があなたのメリットに不安を注ぐようなことを言うとき、神様があなたに対して言われたことを言ってください。イザヤ書43.4-5
質問:あなたは誰だ? 答え:神様の目に貴重な人、彼に愛されています。名誉をうけられる者、選ばれている者、彼と生きるほうが良い。恐れることはないなぜなら神は常に一緒に居ます。
彼の反対を誰にも言わせないでください。