Autor: admin

12月12日: 聖書の日

この12月12日に「聖書の日」を祝いました。それは全世界でより多く売られた本です。またそれが少なくないから、神聖な本は人間に向けられた、神様自らの御言葉です。それを通して、いと高き方の御心、偉大さを知ることは可能です。 神様の御言葉は毎日読まれるべきです。なぜならそれが人間の道を照らします。次の箇所を見てください。 「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。 」(詩篇119:105) エジル・マセド監督牧師の注釈がある、Bíblia Fielの訳では「危険と暗闇でいっぱいの世で、わたしたちは生きていますが、神様の御言葉は案内役として、ともしびの機能を引き受けます。」と書いてあります。 監督牧師によれば、神様の御言葉を毎日瞑想することは、人間に大きな利益をもたらします。 「御言葉を瞑想して、それに合わせて生きる人は、信仰から決してはずれないです。それでも彼の助言を無視して、自分の道を進むことを決断する人は、問題に関与すること以外にも、救いを失う危険性があります。」と監督牧師と断言します。 瞑想してください すべての人間が神様とのつながりを望むこと、彼の御言葉を瞑想することは重要なことです。それは夫婦がお互いを知り合うことに専念すべきことのように、1つの関係のようです。神様に近づくことを望む人は、彼の御言葉に浸かるべきで、彼の御心はなにかを、より深く知るところまで行なうべきです。 聖書の読書のやり方 明らかに、章を1日中読んで過ごす必要はないですが、この瞑想を毎日の行いとすることは、神様の御声を聞くためにこと足ります。いくつかの洞察は、それでも聖書の読書中に行われるべきです。 最初に、文脈から節を取り去ることは、できないことを理解する、必要があります。なぜならばそれが本当にその文章が、言いたかったことに誤解を生みだすことがあります。それから学んだことに適用する方法について、考える必要があります。なぜなら「瞑想する」は読むだけではなくて、自分にその教えを持ってくることです。人生で使うために知ることです。同様に聖書の読書は他の要因にも付いてくる必要があります。それは教会の礼拝に出席する頻度とお祈りの実現の頻度のようなことです。 最後に読書を行っていない場合はできるだけ早く始めてください!あなたはそれがどのくらい人生を変化させるのかを見られます。

命の水

「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」(ヨハネによる福音書4:14) 人が聖霊様によって洗礼を受けて、印をつけられたとき、嘆きと苦情、泣き言ではなく、その人の内に命が流れなる義務があります。人が聖霊様を持つとき、その人はつねに与えるためになにかを持っていて、なぜなら神様の御霊が内にいるからです。 もしあなたが聖霊様を持っていると言っても、人生が閉ざされてる、縛りつけられているなら、あなたはそこになにかの間違いがあります。人が聖霊様を持つとき、彼は空っぽで、嘆かわしい人となることは不可能です。もしくはいつも文句を言っている人や、他人に不幸と問題を伝える誰かでもないです。聖霊様を持つ人は命があります。 神様はマラキ書3:18で「その時あなたがたは、再び義人と悪人、神に仕える者と、仕えない者との区別を知るようになる。」と約束しました。だからこの区別がないといけないです。なぜなら彼が「わたしを信じる者の内側から、生ける水の川が流れ出る」と言ったようにです。あなたにどの川を流れていますか?霊的な人生であなたはなにをしますか? もし誰かが「くだらないこと」を言って、彼の話題はこの世のこととファッション、アーティスト、ドラマ、映画について言うなら、その人が空っぽだからです。聖霊様でいっぱいの人は神様の御言葉で溢れます。 誰かが疑いを伝える、またはいつも泣いていて落胆しているとき、彼は聖霊様を持っていないです。彼は牧師、監督牧師、伝道師、宣教師の服までを持っていてもいいですし、これらのまたはある肩書があってもいいですが、聖霊様を持っていないなら死の源です。 あなたが行う必要のあることは聖霊様を求めること、お祈りをして彼に委ねることです。なぜなら誰もあなたのために、それを行えないからです。神様の全部に持つために、あなたの全部を委ねる必要があります。神様はあなたの人生で、1 番目にいないといけません。

砂漠は必要です!

「主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか。いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。いつまで、わたしは魂に痛みを負い、ひねもす心に悲しみをいだかなければならないのですか。いつまで敵はわたしの上にあがめられるのですか。」(詩篇13.1-2) 正しい人がたくさんの苦しみを過ごすとき、その人はすぐに神様が彼を忘れてそして神様が彼の痛みを見ていないと考えます。 詩篇作者はそのように考えました。そしてまた彼のように多くのキリスト教徒は神様の目的を理解していないです。わたしたちにはなにも偶然には起こらないです。砂漠はわたしたちが知るためにそして全能者にあるわたしたちの信頼度をはかるために必要なことです。

人生を変える集会|長浜市

今週7日(火)、滋賀県長浜市内で奇跡のキャラバンがファビオ牧師によって行われました。 この日も参加された多くの人が力・癒し・解放・救いを受け、祝福されました。 区別された生き方とは何かを牧師が説明されました。 「人は様々な方法で平和を求めて、落胆していますが、神様に人生を委ねると求めている、本当の平和を与えてくれます」 「その時あなたがたは、再び義人と悪人、神に仕える者と、仕えない者との区別を知るようになる。」マラキ書3:18 「本当の平和/安心は、100%人生を御手にゆだねることで聖霊様が与えるものです」と強調しました。 多くの人にとって祭壇で人生を御手にゆだね、聖霊様を求め、受ける機会となりました。 「重荷を背負ってきているような感覚で集会に参加していました。母を1月ほど前に失って、話すらできませんでした…だから悲しみくれて、落ち込んでいましたが、神様に全てゆだねることで慰められ、今は落ち落ち着くこともできて、強くなれたと思います。」西田さんの体験 「神様を求めに来たので、とても参加してよかったです。強くなれたので、変わることができました。本当に来てよかった。神様にもっと近づくことができたと信じています。」マウロさん感想 あなたの人生にも同じ変化を受けることができます。同じ体験をするためには神様の祭壇で全てを委ねる必要があります。 詳しくは、最寄りのユニバーサルキリスト教会で行われている集会や080-3219-4360までお電話し、お問い合わせください。

ダニエルの断食: 神様との関係を改めて考え直すための時間

ある時主イエスはヨハネ書3章で、人は人間性(神様からかけ離れ、過ちに満ちている生き方)というものと共に生まれると言われました。 そこで、人が天の国の“住民”になるためには、聖霊様から“生まれる”必要がある。つまり、人は神様からの“性質”を受け、完全な変化を内心・思考から遂げないといけないということです。 こうして、聖霊様は、私たちを主イエスに似通わせる役割を持っています。つまり、イエス様のこの世での生き方と同じような生き方をすることができるようになるのです。 聖霊様を受けると人は“命の泉が湧き出るようになる”ので自動的にほかの人にその“命”を伝えることになります。 それは、周囲にいる人に平和・善意・寛容など聖霊様特有の実を伝えられるということ。聖書の教えの通りに生きるようになるということです。 そこで12月11日から31日までユニバーサルキリスト教会で“ダニエルの断食”が行われます。 聖霊様をまだ受けていない人々とすでに受けた人々が神様との誓いを新たにするための期間になります。

使徒の軌跡

使徒パウロの軌跡は素晴らしいものです!それは、奇跡や大きな福音活動のことではありません。 「彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。」コリント第二 11:23-27 これらの試練に耐えながらも魂のことを気にかけていました。 「なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。」コリント第二11:28 しかし、中には、“些細”なことでも信仰と奉仕を放棄してしまう人がいます。 どのような状況でも使徒パウロを支えていた御霊がイエスキリストの御名によって私たちをも支えますように!