どうやったら神様の声を聞く事ができるのか?
神様の声を聞くのは不可能ではありません。聞く為には、耳がないといけません。 肉体の耳なら、誰でも持っています。 しかし、極僅かの人だけが精神的な耳を持っています。
幸せを見つける場所
神様の声を聞くのは不可能ではありません。聞く為には、耳がないといけません。 肉体の耳なら、誰でも持っています。 しかし、極僅かの人だけが精神的な耳を持っています。
信仰は命を与えます。疑問は死を招きます。 信仰は、夢が叶う為の力を与え、希望を与え、自尊心を高める一方で、疑問は、夢に毒を与え、希望がうつに変わります。 うつを治す薬などは存在しません。同じように、神様の言葉によって信仰を使っている人がうつになる訳がありません。 精神的な視点から見ると、疑問がある状態になっているから、うつになったのです。 私は医学に関しては全くの素人ですが、精神的な物は理解しています。 厳密に言うとうつは精神的な問題です。 精神的な病気を治す薬はなんですか? 医学が助けてから何人が、うつを理由を自殺をしているのか? 哲学者達はうつをどうやって解決したのか? 解決はされていません。 なぜ? なぜなら、問題が精神的な物なら、解決も精神的な物でないといけません。 精神的な問題というと、信仰は外せません。 普通なら、信仰と聞くと無謀な人は宗教の行いと思いつくますが、そこが大きな勘違いです! 聖書の信仰は、宗教の行いや他に宗教とはどんな関係ありません。 聖書は、どの宗教も放棄します。 神様の霊と命は命の源から溢れます。そして、命と霊は信仰を聖書に置いた時に見つける事ができます。 体、魂、精神は人間の三位一体です。 人の体はケアが必要です。魂は愛が必要です。精神は神様の言葉(聖書)によって、養われます。 人が精神を神様の言葉で養わければ、胸に空虚感を感じます。 宗教は関係ありません、関係するのは、命の霊です。 その証明を見たいのですか? 本を読んで見てください。哲学、自尊心について、恋愛などの本を読んで、何かが変わったかどうか、確認してください。 当たり前に何かは変わりません。その反対で、あなた自身が気づきますが、あなたはただ混乱しただけで何も変わっていない。 それでは、違う実験をして見てください。聖書を読んで見てください。 悪と善の誕生について話す創世記を最初に読んでください。一節一節を注意深く読んでください。次に詩篇、箴言、イザヤ書、ルカによる福音書・・・など あなたが聖書を読んだ時に、自分は何も変わっていないと言えなくなります。なぜか分かりますか? なぜなら、神様の言葉(聖書)の霊はあなたに変化を与えますからです。 イエス・キリスト様の名前によって、神様の光があなたを照らすように!
救われるのは、簡単ではありません。 私達が救われる為に、自分達の人生の最後の日まで神様に忠実にいて、救われた、今も救われている、絶対に救われると言う意識を持っていないといけません。 だが、救われる為にも、悪い考えに勝たないといけません。 イエス様が、狭い門と狭い道の事を話した時、私達は救われる為には、どれだけ難しいことかは実際に想像する事は出来ません。マタイによる福音書/ 07章 14節 神様の言葉の重みを、誘惑、砂漠(苦難)、試練に会った時だけ、理解することが出来ます。 『あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。』コリントの信徒への手紙一/ 10章 13節 救いを維持する為の一つの秘訣は、悪い考えが訪れた時に、 瞬時に自分の考えの中で、言葉を発さず、全力で、その悪い考えを追い出す為に、精神的に祈る事です。 例えば、悪い考えが出て行くまで、「イエス様の名前によって、全ての悪い考えをしばきます!」と考えてください。 悪い考え、良い考えは絶対に避けられません。 良い考えは(神様の言葉に適した考え)保ち続ける。 悪い考えや良い考えに見せかけた悪い考えは追い出さないといけません。 悪い考えが来る事を止めることはできません。しかし、私達に悪い考えをしばく力はあります。 悪い考えが来てすぐに対抗しなければ、その悪い考えは少しずつ強くなり、そして、あなたの良心と結果的にあなたの考えも危機に会います。
ユダヤ人の過越祭が近づいた時にイエス様はエルサレムの神殿に行きました。イエス様が神殿についた時に、雄牛や羊や鳩を売っていた売買人がたくさんいました。イエス様は縄を使って売買人を鞭打ちをして、神殿にいた売買人や雄牛や羊を追い出しました。両替人の机を倒し、お金を撒き散らしました。鳩を売っていた人達に「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」と言いました。 『ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。』ヨハネによる福音書/ 02章 13節〜ヨハネによる福音書/ 02章 22節 それでは、あなたに聞きます。なぜ、弟子達が全員一致で同じ聖書の節を思い出したのか?ユダヤ人、全員が神殿にいて、この言葉を聞いたり、読んだなら、なぜ、ユダヤ人達は聖書に書かれていた事を思い出さなかったのか? ユダヤ人達はイエス様の行動に衝撃を受けて、イエス様に「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と聞きました。しかし、イエス様はユダヤ人に混乱や疑問を生じる、理解できない答えをユダヤ人に言いました。 弟子達は他の弟子は何を思い浮かんだか、その時はわかりませんでしたが、全員一致で同じ聖書の言葉を思い出したのは、とても興味深い事です! 誰がこの事をやったのか?誰でしょうか? それは、聖霊様が補助してくれるからです。聖霊様はその時の状況を納得する為に思い出させるだけではなく、学ぶ為にも思い出させます。イエス様は神様の事に関しては熱意があると理解しました。人々が自分達の犠牲を「準備せずに犠牲をする為に来る」という事をイエス様は受け入れませんでした(雄牛や羊は犠牲する為に売られていました)。その為に、イエス様は過越祭の時にエルサレムに来ました。犠牲を準備せずに神殿に来る人に、神様に何かを捧げる時には、動物を厳しく選んで、動物の世話をきちんとやって来る事を理解させたかったのです。 多くの人は、神様が自分の全ての疑問を答えて欲しいと思っていますが、疑問が多ければ多いほど、答えは少なくなります。なぜ?神様の家に対しての熱意がないからです。この人達は神様に最も良い物を捧げらたら、神様から世話と救いが来るけど、熱意から自分がやらないといけない強制感の思いになって行きます。 聖書には、ユダヤ人達はイエス様に質問したと書いてありますが、イエス様はユダヤ人達にはっきりとした説明をしなかったと書いてあります。 イエス様が弟子達に説明しなかった事を聖霊様は、説明をする指示を神様から受けました。聖霊様は神様の物に対しての熱意を人生の捧げ物として持っている人を補助する役割を持っています。 イエス様が動物を神殿から追い出していた時に、聖霊様は弟子にアドバイスしただけではありませんでした。イエス様が死んで、蘇った時にも、弟子達は聖書に書いてあった事とイエス様が言った事を思い出して、聖書を信じました。 聖霊様は誰と話すかはあなたは理解しました。聖霊様は神様の物を熱意を持って、世話や気を使ったりする人やいつも、自分の捧げ物に気を配ったり、事前に準備する人と話します。
私達の他人を思う純粋な気持ちより、神様の崇高で、より純粋な気持ちは他にありません。 イエス様が嘆いてる最中に、イエス様が一番願っている物を言いました。 『聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。』 ヨハネによる福音書/ 17章 11節 教会がバビロニア(従わない人)の支配にいるなら、子神(イエス様)が願っている事を父神(神様)はどうやって叶うのか?自分たちで主人と呼ぶ者に仕えず、他人の事を考えず、自分たちだけで得を得ようとする、一人一人の話は噛み合わないと言うのは教会と言えるのか?その教会を正し直す事は可能なのか?祭壇から断たれた、穀物とぶどう酒はまた、捧げる事は可能なのか?ヨエル書/ 01章 09節を読んでください。 唯一の聖霊様を受けた時だけ、これらの事は可能となります。 神様の霊の干渉がなければ、霊、考え、信仰、心、業の統一は不可能です。 神様の教会(体を表す)が神様の御霊によって統一する為に、神様は自分の聖霊を遣わせました。教会は一つの体を表します。頭は神様です。聖霊様は、その体を生きさせる精神です。 教会でどれだけ、大事な立場にいる人がいと高き神様の霊を持っている人がいるなら、その人はキリストの体に属していません! 『キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。』ローマの信徒への手紙/ 08章 09節 五旬祭の主な目的はこれです。父神(神様)、子神(イエス様)と聖霊様が一つの神(三位一体)であるように、私達クリスチャンが聖霊様を受けない限りは、統一しないし、ただの偽りのクリスチャンとなります。