Mês: maio 2018

神様はお金を必要とするのでしょうか? 

神様が霊のであるのなら、なぜ、十分の一や献金の掟を定めたのか? 神様が十分の一や献金の掟を定めたのは、イスラエルの国民が神様の御前に来た時、その心を裁く為に定めました。(出エジプト記/ 23章 15節) 当時、異邦人(イスラエル人ではない、違う国民)には、この掟を知る権利がなかった為、明らかにされませんでした。 十分の一は、神様はこの世界と自分の人生で唯一の神である事を実践的に認める事です。十分の一者の人生で誰が最優先されているのかは、初物(収入や何か金銭的的なものを得た時に、最初に十分の一を分ける事)で表します。 九十分の一を祭壇に捧げて、神様に十分の一を捧げなかったら、神様を拒否している事です。 十分の一は神様が作り、献金は私達の神様に対する気持ちの度合いを表します。 十分の一は一定の金銭に対して、献金は一定ではありません!寄付金は捧げる者の気持ちや喜びを表します。(コリントの信徒への手紙二/ 09章 07節) 献金は捧げた者が捧げられた者に正確に表します。プレゼントと同じです。プレゼントを与える人は、プレゼントでその人に対しての何を感じているのかを表現します。 献金も同じです。献金は言葉で表せない、捧げた者の神様に対する拒否の気持ちか神様を愛する気持ちを表現します。 自分の「クリスチャン」としての、人生が悪いと言うなら、あなたの献金に神様の答えがあります。献金は捧げた者の味方の証人か、敵の証人になる事もできます。 『あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。ルカによる福音書/ 06章 38節』 献金の価値は金銭ではありません。献金の価値は質(気持ち)にあります。ルカによる福音書/ 21章 02節〜04節の節に量(良い物)は質(最良)の敵であると、イエス様は教えます。よく読んで、黙想をしてください!

聖霊様の力によって 

イエス様が敵に捕まられて、十字架に掛けられる前、オリブに山にいた夜、兵士とローマ人とファリサイ派の人達とユダが近づいた時、有名な裏切りの接吻(ユダの裏切り)の後、イエス様は兵士達に押収されました。 シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。 ヨハネによる福音書/ 18章 10節 その時、手下を剣で傷つける事がペテロの唯一出来る事でした。そしてペテロはもう一回イエス様にこう言われて注意しました。 そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。 マタイによる福音書/ 26章 52節〜53節 ペテロが感情に動いて、兵士を傷つけた時、どんな結果があったのか?神様の計画を邪魔する、部下を傷つける以外は何もできませんでした。マルコスの耳が切られて、出血していた時にイエス様が起こした奇跡に驚いたと私は信じます。しかし、周りの人にペテロはどんな影響を与えたのか?何も与えませんでした! 同じように、聖霊様の存在に満たされない、教会の中にいる人の人生です。この人達が得る物は周りが気づかないほど、小さな物です。この人達は「感情的な信仰」の剣を使って戦い、反抗心で怒っていると言いながら、一時的な反抗心(単なる感情)で満たされています。このような人は周りのいる「マルコス」の人生も自分自身の人生も変わりません。 しかし、五旬祭の日が起きた時に全ては変わりました。聖霊様は弟子達に炎のように降りてきました。そして、マロコスの耳を切った、あのペテロに何が起きたか見てください。 ペテロは聖霊様に満たされ、自分のいた場から立ち上がって、人々に聖別されたシンプルな言葉を与えました。(使徒言行録/ 02章) だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。使徒言行録/ 02章 36節〜37節 違いを気づきました?聖霊様に満たされたペテロは賢い信仰を使って、3000人の人を争いも、口論も、殴りも、暴力も、感情によってではなく、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と傷つけました(悔い改め)。しかし、聖霊様に満たされていないペテロはマルコスだけを傷つけました(悔い改め)。 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。使徒言行録/ 02章 41節 それでは考えてください。あなたが聖霊様を受けたら、神様はあなたの家族や友達や近所の人や仕事仲間に対してどんな事をしますか? あなたが聖霊様に満たされていないのなら、聖霊様を受ける為に断食や祈りや嘆願をしてください、もし、あなたに肉の欲望に満たされているのなら、自分を空にし、憎みや恨み、神様があなたの人生で唯一に物にする為に悪い物を全て取ってください!

全てがうまくいかなかったら・・・ 

全てがうまくいかなかたら、これから、うまく行くという証拠です! アブラハムにも全てうまくいきませんでした。 100歳でまだ子供がいませんでした。 しかし、後々全てはうまくいきました! モーセにも全てはうまくいきませんでした。 海の前に着いた時、全ては終わったと考えていました。 しかし、後々全てはうまくいきました! ヨセフにも全てはうまくいきませんでした。 奴隷として売られました。 しかし、後々全てはうまくいきました! ダニエルにも全てはうまくいきませんでした。 ライオンの洞窟に投げられますした。 しかし、後々全てはうまくいきました! シャドラク、メシャク、アベド・ネゴにも全てはうまくいきませんでした。 燃え盛る炉に投げられました。 しかし、後々の全てはうまくいきました! 聖書には他様々な例があります。そして、現在にも、全てはうまくいっていないが、祭壇だけを見ながら、信仰を保っている人には、全てはうまくいきます! 今、うまくいかなくても、それが、将来のあなたの証となります! 始まったら、最後まで行くのが秘訣です! 全てはうまくいきます!

ハンナの嘆きとお祈り 

お祈りは、創造された者(人間)の観点を見ながらするのではなく、想像する者(神様)の観点から見ないといけません。お祈りの秘訣はこれです。 ハンナは夫から供え物を貰って、神殿に行って、お祈りを捧げるという習慣をを長い間、全く同じ事をしました。しかし、ある時 ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。 そして、誓いを立てて言った。「万軍の主よ!」サムエル記上/ 01章 10節〜11節 この少ない言葉に無駄の無いお祈りの秘訣があります。体、魂、精神(全身全霊とも言えます)でお祈りをするという事です! ハンナが以前と同じく、夫から供え物を受け取って供えていた間は、自分の胎内を閉ざしたのは神様と思い込んで、苦しんで、泣いていました しかし、ハンナが自ら供え物を供えた以降から、自分の苦しみを祭壇に起き、神様が自分の胎内を閉ざしたと考えるのやめた時、応えは来ました! お祈りには、秘訣があります。 3月11日から18日までの、7日間のお祈りと嘆願を最後までやってください。 まだ参加して無いですか?無駄のないお祈りを学ぶ為、あなたの一番近い、ユニバーサルキリストを探してください。 賢い信仰を使ってください。

神様の「はい」 

アーメンはイエス様です。ヨハネの黙示録/3章14節 「はい」と「いいえ」は僕(しもべ)がある唯一の権利です。僕は絶対に自分の立場を忘れてはいけません。 イエス様が肉体となって、僕として地上にいた時と同じように、私達が肉体として生きている間、僕の立場にいないといけません。ヘブライ人への手紙/ 05章 08節 基本的に、主イエスキリストの僕はクリスチャンです。 その為、僕の気持ちは主の上に立ってはいけません。僕に対しては主の気持ち(御心)は「絶対」だからです。 どれだけ、僕が良い人生を送っていても、主になる権利はありません。 主は絶対に1人だけです。 すなわち、主の気持ち(御心)は僕の気持ちでもないといけません。 イエス様も父に関して同じことをしました。 キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。 キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。 ヘブライ人への手紙/ 05章 07節〜08節 その僕がどれだけ優秀かどうかは関係ありません。僕は絶対に主の上に立つ事は出来ません。 これを行動にすると、どういう意味なのか? つまり、私達が王子だとしても、僕は僕です。僕になり続けたかたら、主イエス様の気持ち(御心)に従順にしないといけません。 「神様よ、あれこれをやってください・・・」というお祈りは何も起きないし、神様は喜びません。 しかし、「神様よ、あなたの御心通りの事が行われますように、あれこれをやってください、お願いします。」 このお祈りなら、神様の御座まで届いて、神様のアーメンの「はい」を得ます。 応えが来るのが遅く見えても、遅かれ、早かれ、神様が定めた時に来ます。

信仰の恐慌 

多くの人が信仰を落胆させている原因は何か? クリスチャン達が教会から出るように導いてる霊は誰か? 聖霊様は私達を真実へ導くとイエス様は約束しました。(ヨハネによる福音書/16章13節) 多くのクリスチャンが教会から出ている原因は聖霊様でしょうか? 聖霊様が自分の家(教会)に多くの偏見、不和、不義を入れている原因なのでしょうか? 聖霊様が真実へ導くのなら、その教会が真実を言わないから聖霊様が導いた。それとも聖霊様が導いてるのではなく、悪魔がその人を教会の外に導いたのです! 賢い信仰は、神様の霊と悪魔に両方ともに導かれる事はできません、神様に導かれるか、悪魔に導かれるかのどっちかなんであると明らかなんです! 神様に導かれる人には、迫害や苦難は必ず来ます。しかし、神様に導かれる人は決して信仰に落胆したり、信仰を捨てたりはしません。 しかし、悪に導かれる人は、道端や石だらけの所や茨に蒔かれた種と同じです。マタイによる福音書/ 13章 18節〜22節 このブログを読んでいるみなさんに聞きたいのはこれです。 あなたは誰に導かれていますか?