Mês: maio 2018

失うものがない信仰 

精神的に正直な人達への贈り物として、聖霊様は神様の力である、超自然的な信仰を送りました。マタイによる福音書5章3節 信仰には「多分」はありません。 信仰が「ある」か「ない」かです。 超自然的な信仰は神様の賜物なので、個人的なものであり、強制的に信じるよう押し付けたりする事はできません。 イエス様は心の固い人、大祭司やファリサイ派の人達のような傲慢で偽善者が理解できないように譬(たと)えを使って話しました。マルコによる福音書/4章11節、ルカによる福音書/8章10節 これで信仰は皆が持てるものではないと証明されます。イザヤ書53章1節 例え、大きいけれど、小さけれど、信仰が明かされた人は、自分の内に神様の力を持つ事となるのです。 小さな砂つぶが貝殻の中に入り、貴重な真珠が形成されるまで成長して行くように、神様から来る信仰は、謙虚な人の心の奥底にあり、不可能であった夢を可能にする為に、最大限に使われる準備をして待っています。 この貴重な信仰を持つ人は全てを得る事が出来ます。もちろん、新しい人生も得る事が出来ます。 信仰の美徳は、その源である神様を喜ばせる為に個人的な得を捨てるという事です。 いくら罪深い人であったとしても、信仰は存在しないものを存在させる十分の力を持っています。 しかし、この信仰を使うには勇気が必要です。神様を信じ切って、与える(捧げる)為の勇気です! そうでなければ、宗教的な信仰は騙し続けます・・・

私の人生は絶望でしかなかった・・・・

(日本語字幕) ヴァレリアさんには希望がなかった、子供の頃から苦しみ、大人となっていても苦しみは増え続ける一方だった。しかし、祭壇との出会いで彼女の人生は変わりました。 よく聞き、よく考え、自分の人生はなぜ変わらないのかよく考えてください。

聖霊様の賜物 

『すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。』使徒言行録/ 02章 04節 イエス様の命令に従ってあの場所(エルサレムの会堂)に集また人達は皆、聖霊様の存在に満たされました。現在、私達が聖霊様からの賜物を受ける為に、あの時代の人達と同じような情熱を持って求めないといけません。

聖霊様 – 命 

『だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい』マタイによる福音書/ 28章 19節 この節は、神様の救いによって救われた者へのイエス様の命令です。神様の御心は皆に聖霊を注ぎたいと言う事を全世界の人達に宣べ伝える為にイエス様は御名、聖霊、御言葉を残してくれました。そして、この福音を信じた者に真実を言い、新しい命を与えなければなりません

荒野と聖霊様 

『さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回された。』ルカによる福音書/ 04章 01節 聖霊様がイエス様を荒野へと導いたように、私達も荒野(苦難)へと導かれます。この荒野(苦難)に会う理由は、私達が強くなる為、神様にもっと頼る事を学ぶ為、神様が素晴らしく、偉大な事を私達の人生に果たす為です。これが起きると私達がまだ見ていなかった事を必ず見るようになります。

聖霊様 – 力 

『わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。』テサロニケの信徒への手紙一/ 01章 05節 神様の子達は、プライドや虚栄心から福音を宣べ伝えたり、自分は誰かより偉いと見せる事はありません。しかし、自分たちの人生を変えた神様の力の体験談を宣べ伝えます。そして、その証によって、他人の人生に神様の御言葉が届いて、信仰の霊によって生かされた魂となり、神様の子へとなります。