Mês: março 2020

私たちはなぜ完璧ではないのか?

聖書で完全さについて何と書かれているのか見てみましょう。 「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」創世記17章1節 つまり、完璧になれるということです!神様の御前で生きていけば十分です。しかし、どうすれば毎日、毎時間そうして生きていけるのでしょうか?これが本題です。神様が難しくしているのではなく、私たちを神様の御前から遠ざける傾向をそれぞれが持っているのでほぼ不可能だと言えます。 忙しかった一日の後、御業でも神様の僕が「休みたい」と思うのは普通です。もちろんいけない事ではありませんが、その「休み方」に問題があります。例えばダニエルの断食中、私たちは世の中のエンターテインメントに関する情報から遠ざかりますが、そういう時、どういった休み方をしますか?クリスチャン映画を探しますよね。すなわち、私たちはまるで第三者が必要な安らぎを与えてくれるかのように遠回しに「休もう」とするものですが、そうはいきません。クリスチャン映画を鑑賞している間、私たちは休まずに「楽しんで」います。 エンターテイメントは近代で最も気を散らす元となっています。そのほとんどが悪影響にはならないと思われがちで「リラックス方法」としてとらえられてしまっています。そして、結果的には、神様の存在から遠ざかってしまうことには気づくことはありません。例えば、一緒にいる人がずっと携帯ばかりをいじっているとこの状況がはっきり理解できます。隣にいたとしても、そこにいるだけであって、一緒にはいないようなものです。神様との間でも同じことが起きています。神様はすぐ側にはいますが、あなたは神様の存在にいるのでしょうか? 「神様の存在にる」というのは、一日中跪いて祈っていることではなく、一日中神様のことを考えていることを意味します。もちろん毎日やることはありますが、神様のことを考えられない程ではないはずです。しかし問題は、こころの中では何でも知っているのだと思い込むことです。結果的には日々の中で私たちは神様のことを考えなくなってしまいます…だからこそ完璧にはなりません。 信仰を保ち続けましょう。

「悪しき者はわたしのためにわなを設けました。しかし、わたしはあなたのさとしから迷い出ません。」詩篇119篇110節 友人からのアドバイスに注意するだけでなく、美容・快楽・富など提案されるものにも気を付けていないといけません。これらは、砂漠にいたイエス様を誘惑しようとしたのと同じように、悪魔からの罠かもしれません。なので神様が誓ったことに期待し、信じるようにしましょう。

目標達成…挫折しないためには?

私たちは一日に少なくとも一回は乗り越えないといけない問題に直面します。これあくまでも良かった一日のことですが、厳しい時には問題は複数起きます。そして、その複数ある問題の勝敗はそれぞれの反応次第です。 戦い続け、夢と目標を決して諦めない人こそ毎日自分を強めていく人です。その一方、疲れ切っている人は容易く問題に負けてしまいます。あんたは果たして、どちらなのでしょうか?下記の詳細を一度読んでみて、成功するコツを学びましょう。 ➤ 疲れている者 疲れているという言葉には、疲労・生産性の低下・結果を残さないなどの意味も含められています。すなわち、戦うことに疲れた人は問題にばかり目を向け、自信を失い、敵に身を任せる状態を言います。 「疲れている人は常に言い訳をして過ぎていった時間に気付き諦めてしまうだけでなく、自分の失敗を人のせいにしてしまいます。」セナ・アラン監督牧師のお言葉。 そういった人は信仰を使って従うことを恐れるので、教会に通っていると状況はさらに悪化していきます。他人をことばかり気にして何の成長も遂げません。 「エジプトにいたイスラエル人たちと同じです。彼らはファラオのために働こうとはしていましたが、神様の声(言葉)に従おうとはしませんでした。神様が預言者モーセを使おうとしたときには、誰も信じようとはしませんでした。なので、信じないせいで夢を変えんられない人もいるという事です。」 ➤ 全てを新たにしていく人 全てを新しくするという事はリフレッシュする・力と勢いに漲ることを意味します。つまり、戦う準備ができている人、問題の大きさなど気にしない人のことです。聖書に出てくるダビデも一つの例です。彼は小さくともゴリアテ(巨人)の大きさを恐れず、勝つために戦いました。 「もしかしたら自社は未だ小さく、信じてくれる人がいない状況かもしれませんが、見方について下さる神様は偉大なお方です。」 その神様だけがあなたの「こころの疲れ」を癒せます。ビジネス講座では問題を克服する進むべき道と力・コツが学べます。毎週月曜日・午後9時から行われています。住所は、浜松市中区北寺島町211-19 です。

“疑問と恐怖”

信仰と勇気に矛盾して疑問と恐怖があります。善が信仰の声に従って勇気つけるのと同じように、悪は今日を埋めつける為に疑問を使います。ではどちらについて行くべきなのか?どちらに使えるべきなのか?果たして何を選べばいいのでしょうか? そんな葛藤の中でできることはたった一つ、”疑問を疑うこと”です! 疑問を疑うということは、悪の力を信じ込まないことです。なので、「上手くいかないんじゃないか?上手くいったためしがないじゃないか…」といってきたら、「神様が私の見方なら自分の目でその事実を確かめてやる!」と言うべきです。 あとは何も恐れず、前進あるのみです。 こころの中では疑問との葛藤が起きるだけでなく、勝利も決まる場所です。 これこそ、豊かな人生を送るためでなく、永遠の命を得るためにも信仰の戦いを最後の最後まで戦い続けると言います。(テモテへの第一の手紙/6章12節) 神様を「信じる」という事は存在自体を「新じる」だけではありません。神様が誓ったことは必ず果たされるという事を信じることです。