悼み…
聖霊様が私たちの嘆きと断食を聞き入れて下さると確信しているのでこの言葉を皆さんに伝えたいと思います。 「シオンに上る道は嘆く、祭りに集う人がもはやいないのを。シオンの城門はすべて荒廃し、祭司らは呻(うめ)く。シオンの苦しみを、おとめらは悲しむ。」哀歌 1章4節 神様の力強い御手の下で自分を低くする人は報われます。(ペテロの第二の手紙5章6節)
幸せを見つける場所
聖霊様が私たちの嘆きと断食を聞き入れて下さると確信しているのでこの言葉を皆さんに伝えたいと思います。 「シオンに上る道は嘆く、祭りに集う人がもはやいないのを。シオンの城門はすべて荒廃し、祭司らは呻(うめ)く。シオンの苦しみを、おとめらは悲しむ。」哀歌 1章4節 神様の力強い御手の下で自分を低くする人は報われます。(ペテロの第二の手紙5章6節)
新型コロナウイルスの浮上で世界中が動き始めた事実について考えていました。 今のところ、どのメディアでもコロナの話題が尽きません。 アーティスト・選手・政治家・有名人…それぞれのSNSを通して情報や注意を促すために使っていますが、残念ながら中には命を失わないように注意しているつもりでパニックを起こしたりする人もいます。 もちろんできるだけの人が救われるためにも予防するように注意を促すのはとても重要です。だからこそ私たちもそれぞれの支局の注意に従っています。 そこで皆さん、全員が同じような形(勢いと力)で人を助けるだけでなく、魂を救うために協力したらどれほど素晴らしいことなのか考えてみて下さい! 今後何が起きるかはっきり書かれている(聖書の)黙示録は、新型コロナウイルスはまだ「序の口」に過ぎないことを教えてくれています。下記の言葉で始まっています。 「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。」黙示録1章1節 そう書かれているなら、何が起きるのか神様が既に言っているなら…さらにひどくなるとも言っているなら…なぜ人は魂を救うために努力をしようとしないのでしょうか??? それは、このことは僕にしか明かされないからです! だから私たち僕、一人ひとりが上に書いた人々よりも動き、魂を救うために何かをしないといけません。 神様が私たちに僕の数を増やすための力と導きを与えてくれますように。
「わたしは心をつくして呼ばわります。主よ、お答えください。わたしはあなたの定めを守ります。 」詩篇119篇45節 話を聞いてくれる人がいると知られるのはとてもいいことです。更に素晴らしいのは、万物の創造主があなたの声をしっかり聴いているという事です。御言葉ではあなたを救い、守ることを誓われています。神様花谷計り知れない価値を見出しています。
陽性反応が出た検査結果、放たれた奇病、身の危険など恐怖心を抱かせられる出来事は、信仰に立ちはだかる矢のようなものです。もし攻撃されている人が神様の御言葉に基づいて生きているなら、どのような攻撃でも無意味ですが、逆に感情的な人なら心は不安を抱き、問題にひれ伏していきます。 だからこそ聖霊様は私たちに見えるものを気にするのではなく、見えないものを気にするように注意しました。なぜなら見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくものだからです。(コリント人への手紙4章17-18節) 賢い信仰を使っていれば、迷いの種を受け入れず、いくら難しくとも「軽く一時的」な苦難にもひれ伏すことはなく、逆に個人的な信念があることで自然と対抗できます!そこから永遠の神様の御言葉が果たされなければいけないんだ つまり、(未だ起きていないことが起きると信じて)見えないものを見て、不可能が可能になると信じて、信仰から信仰、信仰を使って生きていくことを意味します。 神様から生まれていない人に理解できるのでしょうか?
悪魔は神様と同じように言葉を使って働きます。言葉と言っても、恐怖と不安を生み出す迷いの言葉です。こういった言葉が原因で情緒は不安定になり、言動にも影響するようになります。これこそが盗んだり、殺したり、滅ぼしたりする「着火剤」になります。 こういった攻撃に効果的な薬は無く、神様の誓いにだけ集中し反応するしかありません。御言葉に基づいた反応を素早くしないといけません。自信と忍耐を合わせたその信仰の反撃があれば、(悪魔は)逃げます。つまり、神様に従い、悪魔に立ち向かうことができます。ヤコブ書4章7節 良い音楽・アドバイス・気の利いた言葉・極楽などは錠剤と同じで、一時的な効果があるもの、何も解決しません。私たちはイエス様がペトロに言われた「アドバイス」に耐えた時と同じことをしないといけません。「サタンよ、引き下がれ!」マタイ書16章23節
言葉には力があります。言葉を発する者は種をまき、聞き手は収穫するものだと言われていますが、聞き手も話し手、両方が何かしら「収穫」します。これに対する認識が不足すると話し手だけでなく、その言葉を信じる人にまでも深刻な損失が生じます。 多くの場合、適当なことを言ったり、時には相手の言葉を聞きたくない意地で話したり、負けず嫌いで口から出任せを言ったりするもです。とにかくどのような形であれ、言葉には善であれ悪であれ影響力があります。 例えば、母親が娘に向かって「今はいいかもしれないけどね、自分の子供が生まれたらきっともっと酷いことをされるわよ」と言って、数年後、その娘の子どもが生まれ、母親の「憎まれ口」の通り、より酷い状況に直面することになることもあります。 言葉には「霊」があるのだと知るの人はわずかです。すなわち、酷い・マイナスな言葉であれば悲しみ・苦しみ・死をもたらす一方で、良い・プラスの言葉であれば、喜び・健康・命をもたらすということです。 イエス様は病人を癒し、解放などするために言葉を使いました。イエス様の働き(御業)は全て「言葉を使う」という一言で言い表せます。 「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ…」ルカ書4章18、19節 また、イエス様は一つのチジクの木を枯れさせるためにも言葉を使いました。ここでは言葉には良くない影響力もあることを示しました。 メディア界で活動されている人ならこの「影響力」をよくご存じのはずです。だからこそ私(マセド監督牧師)を良くも知らずに憎む人が多いのです。しかし、私は彼らとは違うので何の影響もなく、苛立ちすらしませんが、自分たちの「毒」を吐きまき散らしている人々が気の毒に思えます。 皆さん、聞き入れる言葉には注意してください。「口が食物を味わうように、耳は言葉をわきまえるからだ。」(ヨブ記34章3節)