Mês: novembro 2021

11月28日:平和の日曜日

複雑な心境・不安・家族の問題・パニック・恐怖や胸騒ぎなどを抱えたまま生き続けるのに疲れた方、今週の日曜日(28日)、平和を見つける機会です。 あなたが求めている“平和”は、人やお金がもたらすことはありません。それは、神様にしか与えられないからです。いくら問題にあっていても神様からくる“平和”は状況に左右されません。すなわち、その“平和”を受けると、どのような問題でも乗り越えられると確信が持てます。 もし「少しでも平和になれるなら何でもする」という方、今週の日曜日ぜひ参加してみてください。 7時・9時30分と18時の集会であなたを待っています。 詳しい住所は、ここをクリック。 本部教会: 浜松市中区北寺島町211-19

主(ぬし)の区別

「そこで預言者シマヤは、レハベアムおよびシシャクのゆえに、エルサレムに集まったユダのつかさたちのもとにきて言った、「主はこう仰せられる、『あなたがたはわたしを捨てたので、わたしもあなたがたを捨ててシシャクにわたした』と」。そこでイスラエルのつかさたち、および王はへりくだって、「主は正しい」と言った。主は彼らのへりくだるのを見られたので、主の言葉がシマヤにのぞんで言った、「彼らがへりくだったから、わたしは彼らを滅ぼさないで、間もなく救を施す。わたしはシシャクの手によって、怒りをエルサレムに注ぐことをしない。しかし彼らはシシャクのしもべになる。これは彼らがわたしに仕えることと、国々の王たちに仕えることとの相違を知るためである」。歴代志下 12.5-8 再びイスラエルは信頼せず、神様の御心に従わなかった。 だからこそ人々はイスラエルを侵略して、全てを奪い取ったエジプトの王、シシャクの手に渡されました。 イスラエルの民は預言者の助言で神様の御前でひれ伏し、悔い改めたにもかかわらず、自分たちの過ちの結果から免れることはありませんでした。 神様は民を赦し、助けを保証しましたが、この世の国々と王(人)につかえることと神様(主)に使える違いを理解させる為にしばらくの間シシャク王につかえさせました! 聖人でも悪人でも、忠実でも裏切り者でも、全員神様につかえることと他の人や何かにつかえる違い(区別)を見ることになります!

貧しい尊厳

「貧しい者をしえたげて自分の富を増そうとする者と、富める者に与える者とは、ついに必ず貧しくなる。あなたの耳を傾けて知恵ある者の言葉を聞き、かつ、わたしの知識にあなたの心を用いよ。」(箴言22:16-17) 豊な人生を送るために貧しい者から何かを奪うことやお金持ちとの関わりを自慢して、重要なことだと思うのは、自分の尊厳を貧しくします。神様を畏れ、賢い信仰を使って、考えて行動して、いと高き神様を知ろうとする知恵ある人と仲良くした方がよっぽどいいです。

今あなたが直面している問題は何ですか?

今、人生はうまくいっていますか?どのような問題を抱えていますか?うつがあなたをダメにしていますか?神様から遠く離れてしまったと感じていますか?診察で難病だと診断されてしまいましたか?家族問題で悩んでいますか?家計がうまくいっていませんか? 今どのような問題を抱えているかは関係なく、神様は全てをいやす力があります。(聖書に出てくる)ナアマンにも同じことが起きました。聖書によると、ナアマンはシリアの軍勢の長で尊敬され、大きな財産の持ち主だと書かれています。しかし、それでも病に勝つことはできませんでした。それは、徐々に体をむしばんでいくらい病(重い皮膚病)でした。 幸いにも神様はナアマンが民の一人でもなく、イスラエル人の敵でありながらも彼を通して御力を示そうと決められました。ある日、ナアマンに使えていた一人のイスラエル人女性は故郷にエリシャという預言者がいると話しました。 するとナアマンは複数人でエリシャに会いに行きますが、その予言者は直接会うことなく、使者を伝ってナアマンにヨルダン川で7回身を洗うように言いました。もちろんナアマンはプライドが高く、ありえない話だと思いますが、一緒にいた使用人たちにエリシャの言うことを聞くように説得されました。その時、奇跡が起きました。 列王記下5章を迷走してみてください。 “ナアマンの信仰で7回浸かる” 11月15日から21日にかけて全国のユニバーサル教会で“ナアマンの信仰で7回浸かる”挑戦が始まります。 詳しい住所は、ここをクリック。 本部教会: 静岡県浜松市中区北寺島町211-19

11月14日: 聖餐式が行われます

聖餐式は主イエス自らが成立した儀式です。この時、結婚式と同じように、創造主(神様)と想像された者(あなた)の間での “誓いを結ぶ儀式”が祝われます。 聖書に載っているように、全人類が罪のせいで永遠にさまようことになっていましたが、その悲劇的な末を迎えさせないために、主イエスは自らの命を犠牲にして高い代償を私たちの代わりに負いました。 へブル人への手紙の著者は、主イエスが地上に来られ、これについて祈った時のことを書いています。 「…あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、わたしのために、からだを備えて下さった。あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった。その時、わたしは言った、『神よ、わたしにつき、巻物の書物に書いてあるとおり、見よ、御旨を行うためにまいりました』」へブル人への手紙10:5-7 だからこそ使徒パウロは聖霊様に導かれ、私たちにこう教えています:「だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。」コリント第一11:26 “聖餐式に来て”の日曜日 11月14日、「“聖餐式に来て”の日曜日」が全国のユニバーサル教会で行われます。 クリスチャンの間で有名かつ古い聖歌と同じ:「主がお呼びです。参加してください!家族を連れて参加しよう。聖書にあるように「ひとの子(イエス様)の肉(パン)を食べず、その血(ぶどうジュース)を飲まない者(聖餐式に参加しない者)の内に命はない。(ヨハネ書6:53参照)」ということです。 聖餐式に長い間参加していなければ、ぜひこの機にご参加ください。 詳しい住所はここをクリック。 本部教会: 静岡県浜松市中区北寺島町211-19

あなたの人生を導く信仰とは?

しっかりとした信仰を持っていると思う人は、考えて行動するのではなく、感じるがままに動いたとき、さまよってしまいます。賢い信仰を使って生きるには感情と思考を分けられるようにならないといけません。そして、御言葉に従うには瞑想をしないといけません。 10月31日・日曜日の集会でマセド監督牧師は、私たちの人生をその信仰を導かないといけないのか話されました。「イエス様の言った言葉だけを従わないといけません。私たちが感じるもの、見るもの、触るものでは関係ありません。(御言葉に)書かれている言葉は状況関係なく、果たされます。(イエス様)を信じていればふさわしくなり、信じなければふさわしくなくなる…重要なのは信仰です。主がここにいると信じているのはそう約束されているからでこの信仰が私の人生を導いています。」 続いて監督は悪魔が疑問を利用すると説明し、さらに衰えている信仰のサインでもあるそういった考えに隙を与えてはいけないと注意しました。「今まであなたが失敗してきたのは疑問を抱えているから。実際にさまよったのはその疑問に促されたからです。疑問は悪魔の武器。この武器は恐怖、不安、人を弱らせ、もろく、弱く、貧弱で騙し、思い込ませます。」 こころx確信 悪魔は人のこころに疑問が芽生えれば、霊的に攻撃されやすくなると知っていますが、賢い信仰は持つ者の自信になる確信です。 「何か感じるのがこころ。こころが喜んで・痛みを感じて・悲しんで傷つく。こころは私たちの中にあって、感情を使って騙すものです…信仰はこころ(感情)とは全く別のもの。思考を使う信仰は賢い。個人的には神様の存在を“感じません”。特に何も感じないです。信仰は何かを感じる、感じない、の話ではなく、確かな確信です。」と監督は付け加えました。 さらに:「信仰を使わないといけません。私たちは信仰を使うように教えていますが、実際に使うかはあなた次第です。感じることと信じていることを分別して、信仰から感情を別けましょう。聖霊様は私たちに何か感じさせるわけではなく、神様が味方だと確信させてくれます。神様と自分に対する確信をくれます。他人やこの世の幻ではなく、自分への自信をくれます。」 あなたはどっちですか?