Mês: agosto 2022

8月24日、癒しの聖餐式

この世の中は時間が経つにつれてどんどん変わってしまっています。 そのことにより多くの方の心の中は疲れ、不安や恐れで溢れてしまっています。 さらに、今現在、世界で起こっていることによって終わりに近づいてきていることにも気づくことができます。 この記事を読んでいるあなたに質問をします。 あなたはこの不安だらけの世の中で心の平和を見つけることができていますか? ある日、イエス様はこう言いました。 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11:28) 今日、最寄りのユニバーサルで子の聖餐式に参加して心の安らぎを受けてください。

必要な糧の日曜日で行われる初物の収穫祭にご参加ください。

8月7日に集会が行われます。 聖書では「主よ、ごらんください。あなたがわたしに賜わった地の実の初物を、いま携えてきました』。そしてあなたはそれをあなたの神、主の前に置いて、あなたの神、主の前に礼拝し、」と申命記 26:10に書かれてます。 なぜこれは大切なのか 上記の読み上げていくと、御言葉により私たちの有形財は神様から与えられたと省みることができます。人は神様に授けられ、感謝します。そして御葬式のような辛い時でも、忠実で初物には手を入れませんでした。同じように私たちも神様のものとは正しく接する必要があります。 今週の日曜日、8月7日は初物の日曜日であり、必要な糧の第一回目の集会が行われます。その為、パンと水、それからあなたの初物を用意してユニバーサル教会へお越しください。そして私たちは「主よ、あなたが約束したようにあなたの民たち祝福させてください」と祈ります。集会の時間帯は7時、9時30分と18時。 浜松市本部にて、または最寄りのユニバーサルをお探しください。

神様の人は最後まで続く

今日のメッセージを読んで考えてみて下さい。 「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。 17世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。」 ヨハネの第1の手紙2:16-17 私たちは神様と一緒に歩めるチャンスがあるから、悪は人間を妬みます。だから悪は誤った言葉の使用して、やっと罪を起こさせました。こうして人間、神様が築いた人間はパラダイスから(ルシファーのように)追い出されてしまいました。それからは貪欲、悪意な生き方をし始めました。 いつかこの世界は終わります。そしてイエス様の犠牲を受け入れなかった人は永遠に火と硫黄との池に投げ込まれます。しかし神様の思い通り従う人、そしてイエス様が供える救の杯を受ける人には永遠に救われます。

信仰の最終的な目的とは

不道徳的で混沌とした世の中で信仰は守れるのか。 「イエス・キリストの使徒ペテロ…およびビテニヤに離散し寄留している人たち、…父なる神の予知されたところによって選ばれ…」 ペテロの第一の手紙 1:1-2 使徒ペテロは(今日は私たちである)神様に選ばれた者に言いました。 読み続けると、立ち向かう出来事に純金のような信仰で耐えられるように、信仰を整う必要を言います。それは純金のように。そして信仰が試されている中でも喜びを保つこと。でもここで信仰の主な目的に注目を集めます。 「それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。」 ペテロの第一の手紙 1: 9 信仰によって、有形財の祝福や奇跡を起こしたりしますが、特にたましいを救うために保たなければならないのです。 だからどうこんな不道徳的で混沌とした世の中で信仰は守れるのか。 「それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み…むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。」 ペテロの第一の手紙 1:13ー16 身を慎むというのはこの世のものと混じり合わないだけではなく、悪魔が神様に選ばれた者を弱め、結果的にはたましいの救いを失うために準備する仕掛けに目を張ることです。 聖なる道を歩むのは、もう過ちを起こしたりしないわけではなく、それを習慣にさせないとのことです。すなわち、常に良心の状態を見直し、そして自分の思いよりも神様の思いを優先にさせることです。これらのことができるのは唯一、神様の御言葉である鏡を見るときです。それが聖書です。 「”…しかし、主の言葉は、とこしえに残る。” これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。」 ペテロの第一の手紙 1:25 あなたの信仰の状況はどうですか?あなたのたましいはどうですか? 理解できるよう、神様があなたを導きますように。 エジルマセド監督牧師