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信仰をもつ人の言語には、区別があります

信仰をもつ人の言語には、区別があるということを、カルドーゾ・レナト監督牧師が説明しながら、今週の火曜日(28日)の、賢さと信仰の番組を始めました。 監督牧師によれば、信仰によって生きる人は、言葉と話し方によって簡単に、気がつくことができます。同じように、信仰によって生きない人もそうです。なぜなら信仰によって生きない人の、話はありふれたこと、噂話、なに1つためにならないことで、刻まれます。 でもそれだけではありません。信仰をもたない人の話は、悩みとたくさんの文句で刻まれます。その人はすべてのこと、天候、人、会社、上司、交通機関などの文句を言います。 「信仰によって生きない人の話は、ひどい言葉、侮辱、指摘しながら、怒鳴りながら生活する人、他の人を腹を立たせるなどのことですらも、刻まれている可能性があります。なぜならば彼の中には怒りがあり、いつも苦痛でいっぱいです。そしてこの苦痛が口からこぼれ出ます。」と言われました。 それらすべてに加えて、彼は物質主義者で、形ある財産の重要性を高める様子で、これは明らかです。それを行う理由は、内側が空っぽで、形あるものでこの空っぽを埋めようとするからです。 悪意もまた、信仰によって生きない人の話の別の特徴だと、レナト監督牧師は強調されます。その人は人を悪く批判しながら生きています。なぜならば悪が彼の中にいるから、悪意ある考えによって煽られています。 言葉は実体化した考え よって周りにいる人々の話を観察して、より良く選択的にあなたに関わっていく人を、選ぶことは重要です。 「なぜならば言葉は実体化した考えです。全員悪い考えはありますが、頭の中にある間は、より簡単に追い払うことができます。だからとても重要なことは、あなたが非難される、滅ぼす、弱めるようなことを、あなたや聞いている人々に対して、話さないように気をつけることです。」と監督牧師は警告されました。 なぜなら(神様への)信仰によって生きる人々は、当然、彼らの考えを支配するのは、神様自体と彼の御言葉です。彼が話し合うことに適した他の話題について、会話をすることは確かです。でも言語は高いところからくる、枠に収まるように刻まれています。 言葉から汚れを取り除くために、そして神様の考えとつながるために、ダニエルの断食の最後の数日を利用してください。

いつくしみの実践

「しとやかな女は、誉を得、強暴な男は富を得る。いつくしみある者はおのれ自身に益を得、残忍な者はおのれの身をそこなう。 」(箴言11.16-17) 女性は、自分を大切にして誉を得るとき、男性を助ける人として、神様から与えられた、彼女の役割を成し遂げるための知恵を探すとき、自分自身のために良くします。 神様からいつくしみを受け取った女性と男性は、隣にいる人にいつくしみ深くなることを知っています。それが魂の安らぎの益を得させるからです。忠実である状況は神様からきます。 でも残忍な人は、心の傷をしまう人で、許すことを知らない、だれかに対していつくしみを持つことも知らないです。苦しみがたくさんあり、人生すべてを通して、耐えがたい苦痛と罪の重みがあります。

2022年への年越しはどこで過ごしますか?

年越しは最も祝われる瞬間に、なりがちです。新年が良いできごとを持ってきて、前年よりは良い1年になる希望を持つ感覚です。 このように人々は、新年を家族、友達と一緒に、浜辺で、パーティーで、お酒を飲みながら祝います。一見、新年を大きな喜びで始めます。でも不思議なことに、それは人生でどんな有益な区別をもたらしません。 今までとは違う年越しを過ごしてはどうですか?そして次の365日は真の幸せを感じて、本当に生きるのはどうですか? 大晦日をどこで過ごしますか? これが全国のユニバーサルキリスト教会で、行われる特別な礼拝、つまり年越しの深夜礼拝の提案することです。それは12月31日の22時から始まって、2022年の初めの数分までで終わります。このようにして、あなたは始まろうしている新年を神様に示して、神様の導きと守りを受けます。 この行動が、起業家ナバラ・アレックスさん、38歳の人生で、区別を行っています。彼が慣れていてた年越しは、寂しいものでした。「いつも引き離されていて、だれとも連絡が取れず、だから薬物と悪党の世に関わっていました。多くの場合、年越しは街の周りを行き先もないまま運転していて、わたしの人生はどうなるのだろうかと考えていました。」と彼は語ります。あるパーティーに行ったとしても、孤独になっていて、もうすでにその後で、彼の日々を分かち合う真の友達が、いないからです。 でも彼がユニバーサルキリスト教会で最初の年越しを過ごした後で、人生は決して、また同じにはなかったです。2019年の大晦日に彼は、ユニバーサルキリスト教会の年越しの深夜礼拝に、参加しました。そこで神様によって支えられているように感じて、神様の御前で新年を迎えるのに1番良い場所だと確信しました。  「わたしの取った最高の決断でした。なぜなら内面からの平和、勝利の確信、力そして戦いに勝つための導きをもたらします。それに以外に、もう1年を通しても、主イエス様にわたしの人生で、欲しいことを表してます。」と断言します。 年越しの深夜礼拝 したがって本当に新しい1年を持つために、全国のユニバーサルキリスト教会で、12月31日22時から始まる、年越しの深夜礼拝にお越しください。 本部教会:浜松市中区北寺島町211-19

賢い信仰の学校:車両整備場は信仰をもつ人にとって必要不可欠なこと

F1ドライバーがレース中に、車両に対しての交換作業をするために、ピットストップに停まる必要があるように、信仰を持つ人もエネルギーの補給のため、そして霊的に強くなるために、「1週間のレース」の真ん中で休みが必要です。結局、日々の挑戦に立ち向かうために、あなたは補給済みの信仰をもつ必要があります。その反対には、弱くやる気のないように感じます。 これを行う唯一の方法は、神様の御言葉から栄養を得ることです。そしてこれが賢い信仰の学校の方針です。問題を目の前にしても揺るがないで居続け、それに勝利することができるために、わたしたちの力を新たにして、霊的な武器を装備します。 さらに言えば、「今年最後の水曜日です。信仰に投資をする賢い人は、賢い信仰の学校に参加します。信仰をもつ人は、神様の御言葉から栄養補給をするために、1週間の真ん中でこの車両整備場を優先にします。」とカルドーゾ・レナト監督牧師は言われています。 だから神様を称えることを学んで、新しくなることを求めてください。そして年越し深夜礼拝に準備してください。神様の御前で新年を迎える場所で、2022年あなたの人生で祝福を得て、聖霊様が降ります。 よってぜひお越しください。今週の水曜日、賢い信仰の学校は、浜松市のユニバーサルキリスト教会と全国のユニバーサルキリスト教会で行われます。 最寄りのユニバーサルキリスト教会については、ココをクリックしてください。

畏れのつぼ

「そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた...」 マタイによる福音書25:1-4 最近、この1節について瞑想していました。思慮が浅いおとめたちは、まさに思慮深いおとめたちと同じようでした。花嫁であり、おとめであり、手にはあかりがありました。だけど違いは、あかりと一緒に、つぼの中に油を用意していたかどうかでした。 そうであるならば、このつぼが畏れということではないですか? すでにすべてが解決されたと思い込みながら、思慮が浅いおとめは落ち着いていました。花婿が迎えに来るまえに、油はなくならないから、つぼの中に油を入れて持って来る犠牲をしてまで、一緒に用意する必要はないと思い込んでいました。 興味深いことに、思慮が浅いおとめは、準備不足になっていると気がつく代わりに、つぼを持って来るという犠牲をした、思慮深いおとめまで来て頼んでいました。おそらく思慮深いおとめの大げさが過ぎていると、思っていたのでしょう! とても強く思ったところは、神様のしもべである、わたしたち全員もこれと同じだというところです。見かけ上は全員同じで、花婿を待ち望んでいます。けれども、ある人はすでに畏れを失いました。犠牲を行う人生についての指導を受けたとき、不必要なことだと思い込みます。結局のところ、すでに「花嫁」だからです! しもべが悪く、怠慢なとき、全員そのしもべがだれであるかを見ます。それが目に見えてわかるからです!どんなに思慮が浅い人は、人の目から見過ごされるとしても、ちょうど思慮が浅い人自身だけが、花嫁が戻って来る前に自分を調べて、悔い改めることができます。

花嫁の聖歌

「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。」(詩篇130:5-6) これが主イエス様の花嫁の聖歌です!花嫁は毎日待ち望みます。なぜなら。祭壇で彼と一緒に誓いをしたように、彼の御国まで連れていくために、彼が天の雲に乗って来るのを知っているからです。