Categoria: 溢れる源Blog

いと高き方からの招待

主の山に登るべき者はだれか。その聖所に立つべき者はだれか。手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、偽って誓わない者こそ、その人である。このような人は主から祝福をうけ、その救の神から義をうける。(詩篇24.3-5) いと高き方は正しさを行うことを欲して、彼の祭壇まで近づく者、全員を招待します。その人は手が清く、心のいさぎよい者、むなしい事に望みをかけない者で、そしてつねに真実を話すように気をつけています。 これらが祝福そのものとなり、永遠の人生の全体で神様からの魂の救いを受けるために、正当化させます。

神様の完全さ

「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。」(詩篇19.7-8) 人のおきては完全ではないです。それだけでなく、悩みと恐怖を引き起こします。しかし神様のおきては完全で、安全と幸せを万全にして、人間の魂を生きかえらせます。 神様の御言葉は真実のあかしで、彼の大きな愛と力によって確かです。神様のさとしを、引き受ける人は命があり、心は喜びでいっぱいになります。 主の戒めは、すべての責められることを取り除くことで、罪人を清めます。眼に映ることを明らかにして、考えるための能力を与えて、神様が見るように世の中を見せます。

砂漠は必要です!

「主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか。いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。いつまで、わたしは魂に痛みを負い、ひねもす心に悲しみをいだかなければならないのですか。いつまで敵はわたしの上にあがめられるのですか。」(詩篇13.1-2) 正しい人がたくさんの苦しみを過ごすとき、その人はすぐに神様が彼を忘れてそして神様が彼の痛みを見ていないと考えます。 詩篇作者はそのように考えました。そしてまた彼のように多くのキリスト教徒は神様の目的を理解していないです。わたしたちにはなにも偶然には起こらないです。砂漠はわたしたちが知るためにそして全能者にあるわたしたちの信頼度をはかるために必要なことです。

貧しい尊厳

「貧しい者をしえたげて自分の富を増そうとする者と、富める者に与える者とは、ついに必ず貧しくなる。あなたの耳を傾けて知恵ある者の言葉を聞き、かつ、わたしの知識にあなたの心を用いよ。」(箴言22:16-17) 豊な人生を送るために貧しい者から何かを奪うことやお金持ちとの関わりを自慢して、重要なことだと思うのは、自分の尊厳を貧しくします。神様を畏れ、賢い信仰を使って、考えて行動して、いと高き神様を知ろうとする知恵ある人と仲良くした方がよっぽどいいです。

主の慈しみは大きい

神様は私たちが過去にしたことや性格関係なく、接してくれる。過ちの仕返しはせず、畏れる者には慈しみ深く、思いやりを持ちます。 📍「主はわたしたちを罪に応じてあしらわれることなく、わたしたちの悪に従って報いられることもない。天が地を超えて高いように慈しみは主を畏れる人を超えて大きい」詩編103:10, 11

~神様は嫌います~

「主の憎まれるものが六つある。心からいとわれるものが七つある。驕り高ぶる目、うそをつく舌、罪もない人の血を流す手、悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足、欺いて発言する者、うそをつく証人、兄弟の間にいさかいを起こさせる者。」箴言6:16-19 これら六つのことすべてが神様は憎んでいます。でも、神様は慈しみをもって、彼らを実践することを悔い改めた人々を許します。しかし、神様は、七番目を実践する人々を嫌います。つまり、許しをもらうのは最も難しいのです。なぜなら、その人たちは神様を恐れていない、神様の愛するしもべに触れているから。