Tag: ブログ

これまで反対されて良かったのに、今はもう良くないと言うのですか?

教会に行き始めた頃は恐らく、反対していたでしょう。行きたくなくても行っていた。その行動が新しい人生の始まりに繋がりましたよね。 牧師が「自分の望みを果たすために毎週来ないといけない」と言ったとき、抵抗しましたよね。しかし苦しい思いは大きく、参加したはずです。そして開放され、自由を手にしましたよね。 集会で「許さないといけない」と聞いた時、反対する感情とは裏腹にあなたは従い、相手を許し、解放され、自由になりましたよね。 十分の一や供え物について聞いた時、反対する気持ちがあったにもかかわらず、神様の御心であると知った時には積極的に自らするようになり、成功しましたよね。 お金以上にも、自分を委ねなければいけないということを理解した時、長い間葛藤したはずです。しかし、ふと気づいた時にはもう祭壇の前で神様に全て委ねていたのではないでしょうか。全てが変わり、神様からの「全て」である聖霊様を受けましたよね。 時は流れ、多くの人に自分の証を言って、人を助け、神様につかえるようになったはずです。(大概は反対されつつも、あなたは神様のためであると知っていたので全力で仕えましたよね)教会では責任が与えられ、地位を持つようになった。見本になりましたよね。 そんなある日、あなたは自分の地位をみて、敬意され、認められ、意見を述べる権利を持つべきだと思ってしまった。もう反対されるのを嫌がり、失ってしまった。 そう、延べ伝えてきたこと全てを否定した時にあなたはそれまで手に入れていったものを全てを失いました。過去の(落ちぶれ・さまよい・恥をかいていた)自分を忘れ、天狗になって、自惚れ、遠まわしにそれまで手を差し伸べてくれていた教会はもう自分には相応しくないのだと言い、出て行ったときに全てを失ってしまったんです。 なので今の自分は誰よりも優れていて、誰よりも賢く、誰よりも上手くできると思っているなら、好きにして下さい。 もう何も反対はしません。 あと、何かしてしまっていたなら謝りますよ。

信仰と平和

迷いは眠りの妨げになり、人のこころをダメにし、平和を奪います。平和が無ければいくら高級料理が出されても、最高の付き添い、最高の快楽や仕事があっても満足もできません。 毎日、起きている間、信仰と迷いのどちらかを選らばないといけません。神様の見方に基づいて人生の出来事と人々を見るのか、普通の見方をするのかも選ばないといけません。そして、霊的に生きていくのか肉良くを選ぶのか。三つ目の道(抜け道)があるわけではありません。 神様を一瞬でも疑ってしまうと、迷いへの扉を開いてしまいます。その瞬間から内面で神様の誓いが果たされる確信と迷いとの葛藤が始まります。 さらに、恐怖・焦り・不安・迷いなども信仰を無効にして平和を奪いますが、迷いとは真逆に信仰は平和と魂のバランスと安心を保障します。 信仰を使って生きていれば霊的にも生きていると言えるように、逆のことも言えます。なので、恐れ・ストレス・苦心の余地はありません。 すなわち私は信仰と平和は共に歩み、その調和と力は神様の御言葉の実行でのみ生まれます。 神様の教えに基づいて考える人は何でも乗り越えられます。そう言った人にとって悪運・妬み・悪からの脅迫もありません。だからこそ神様は私たちに信仰から信仰を使って生きていくように勧めています。私たちの中にこの素晴らしい信仰の力がないと迷いは留まります。その一方では毎日信仰を使っていくと聖書に書かれている通り、神様は私たちに平和を与え、どのような壁があってもつまづかないようにしてくれます。 「あなたの律法を愛する人には豊かな平和があり、つまずかせるものはありません。」詩篇119篇165節

霊的な隔離

世界中に広まっているカオスを乗り越えるには、できるだけ早く隔離する必要があります。 つまり、いわゆる「クラスター」を避け、感染せずにこの状況を乗り越える必要があるということです。 健康を保つ(身を守る)かは私たちの行動次第とも言えます。また、霊的にも生き残る意味でも同じようなことをする必要があります。 私たちの霊的な面も「隔離」、つまり聖なる生活をする必要があります。 「…聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」へブル人への手紙12章14節 今コロナウイルスへの対策が多く実践されているように、霊的な面でも同様に行われたらどれほどいい事か考えてみて下さい。 また、多くの人は医療機関からの注意には従っていますが、聖書のいう事は聞かず、いわゆる「クラスター」を避けずに、目が濁り(全てに欠点を見つけ)、悪事、憎しみ、愚痴、嘘など罪の「ウイルスに感染」してしまい、今となっては霊的に死んでいます! 聖書では手を清める重要性(詩篇18篇21節)だけでなく、何よりもこころを清める必要について書いてあります。これら全て主イエスの御言葉です。 「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。」マタイ書5章8節 私たちのこころを清く保つのは区別と聖なる生活を行うことから来ます。 そうすれば、目に見えないものが見えるようになります。 だからこそ、和たちは常に霊的な隔離状態で生きていき、救いに邪魔をするようなもの・人から遠ざかって生きていかなければいけません。

神様の心と思い

『わたしは自分のために、ひとりの忠実な祭司を起す。その人はわたしの心と思いとに従って行うであろう。わたしはその家を確立しよう。その人はわたしが油そそいだ者の前につねに歩むであろう。』サムエル記上/2章35節 神様は今でも救いと命を与えて祝福する御心を明かす為に油注がれた人々を明かし、 御子のイエス様を唯一の救い主だと認めた「家(家族)」を支える為に使い続けています。