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聖霊様を受けた後は、平和だけしかありませんか?

時々、人々は聖霊様による洗礼を受けたら、平和だけがあって人生が穏やかになると錯覚します。本来、神様からくる平和は、人間の理解すべてを超えます。けれどもこの平和は、人の内側だけにあります。 この話題について、フレイタス・ジュリオ監督牧師は、集中した伝道師たちの番組中に、どんな状況、環境、場所やだれかにかかわらず、聖霊様を受けたことから生まれる、素晴らしい平和を詳しく説明されました。それでも聖霊様は人の深いところにいると、保証されています。 「聖霊様を受けると平和だけがあると、考えないでください。それはわたしたちの深いところにだけあります。なぜなら外側では戦いとなります。それはなぜなら世がすでに悪いからです。」と監督牧師ははっきりさせました。 そうであるならば、この世に生きている間は、いつまでも霊的な戦い、問題、挑戦があります。でも聖霊様によって印をつけられた人の深いところで、本当の平和があります。 神様の御言葉で言われていることによれば、その通りになります。下記を見てください。 「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。これは、あなたがわが罪をことごとく、あなたの後に捨てられたからである。 」イザヤ書38:17 このようにして、悪魔は絶え間なく、神様に属する人からこの平和を奪うために、企みと戦術を使用します。例えば、迫害、中傷、侮辱、批判、そして脅迫すらもするために、人と状況を使います。これらすべては、聖霊様からくる平和をあなたが、失うために行います。

十分の一が盗まれた!

「人は神を偽りうるか。あなたたちはわたしを偽っていながらどのようにあなたを偽っていますか、と言う。それは、十分の一の献げ物と献納物においてである。あなたたちは、甚だしく呪われる。あなたたちは民全体で、わたしを偽っている。」マラキ書3章8,9節 人が十分の一と捧げものを祭壇に備えたとき、その人の人生にあった呪いが全て無効になります。成長を止めていた、もしくは妨げていたのは大体、病気・不義・機会を閉ざされていたり、説明のしようがない出費などがあります。 まるで祭壇がその人の人生そのものを受け、神様の御言葉に書かれていることが果たされるのを保証するようなものです。 なので、教会の責任者や他の人が祭壇で捧げられたものに手を出せば、その人は、捧げものをした人が従うことで解放された全ての呪いを逆に自分の人生に持ち込んでしまいます。つまり、十分の一や捧げものをした人は祝福されますが、それを奪う人は呪いを招き入れてしまうということです。 たとえ、お金が必要だと言う人に送ったとしても、将来を保証するために使ったのだと言ったとしても、その人が保証しているのは呪いだけです。 ゲハジに何が起きたのか列王記5章20-22節で読んでみて下さい。 私たちは他人の話を完全に知ることは無いので干渉してはいけません。他人に神様の御業に対する憤りや反抗を抱いているのだと言われたら注意して下さい。いくらもっともらしい話であったとしても、呪いがきっかけかもしれません。 それぞれがそれぞれの話だけを気にしていればいいんです!

御子の偉大な愛

主イエスは神様の御心を果たすためにこの世に来ました(マタイ書20章28節)。 そのためにイエス様は栄光を置き、十字架で私たちの罪を背負うために人の姿で苦しみ・死に、永遠の命を私たちに与える為に復活されました。また、死ぬ前にイエス様は使徒のために父なる神様に一つの祈りをしました。 イエス様は迫害・挑発・誘惑を耐える厳しさをよくご存じでした…使徒たちはこれらを乗り越えられる唯一の方法は聖霊様で満たされるほかにありませんでした。そのため、父なる神様に彼ら(当時、最初の使徒のことでした)を悪から守るように願いました。 「わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。」ヨハネ書17章11節 主イエスは御自分を信じる人、つまり、自分が罪人である自覚をしていて、イエス様にだけ赦しと救いが得られるのだと理解している人々を救うために来られたので、その祈りの中でイエス様を見ることはできなかったけれど御言葉を通して信じるようになる人々の為にも願いました。 「また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。」ヨハネ書17章20節 今もこの祈りの力を刑務所の中でも見られています。例えば、悲しく過ちでいっぱいになった過去を持ち、変わる希望も無い人々が御言葉を聞くことによって、立ち返り、さらに素晴らしいことに、刑務所にいながらも聖霊様を受ける人もいます!なんと素晴らしい事でしょうか! 聖書に書かれている通り、「…見ないのに信じる人は、幸いである。」ヨハネ書20章29節 そういった人は神様の力を証言できる人となって、変わるだけでなく、何よりも救いを確信し、自分が救われたのと同じように、他にさまよっている人も救いたいと望むようになっています。 そしてこれが主イエスの望みです。御自分と父なる神様と一つになる為にみなに聖霊様を授けること。 「このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。」ヨハネの手紙一4章13節 神様が皆さんを祝福しますように!

いらない事ばかり口走ってしまう理由とは?

もし常に言ってはいけない事を言ってしまったり、場違いなコメントや誰かを傷つけてしまったような話題を始めてしまったりで謝ってばかりいるなら、人から離れて生活したり、無口になったりする事で馬鹿げたを言わなくなるわけではありませんよ。 イエス様はファリサイ派の人々とあった時その訳をマタイ書12章34節で説明しました。 「まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。」 無論、あなたの言葉はあなたそのものを表しています!そうなんです。誰でも間違えってしまうから馬鹿げてた事を言う訳でも、無意識に言ってしまっているからでもないですよ。単純にあなたは言った言葉でいっぱいだからです。 つまり、思っているほど自分を知らない事もあるという事です。良くないもので心が埋まっているのにいい人だと思ってしまう。 ではなぜなのでしょうか? それは、イエス様がおっしゃった通り、心は聞くものも見るものも全てしまっておくトランクのような場所だからです。 「善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。」 では、あなたは何を見て、何を聞いてきたのでしょうか? これこそあなたが色々口走ってしまう理由です…あなたの口から出る言葉は全て心の中から溢れ出るほど詰まっているいらない情報があるからです。 いらない情報といえば、その元は様々存在します。 「正式」ではないLINEやカカオなどのチャットグループ、つまり仕事や家族とは無関係に作られているものや決していい影響にならないような人々のSNS、神様を信じていなくて畏れない知り合いの輪、映画や番組、ドラマ、リアリティショーなど新興とは無関係のもの、神様の御言葉とは無関係の本や雑誌もあります。 私たちの口から出る言葉で私たち自身がどんな人なのか良く知る事ができます。なので、今まで心を何で満たしてきたのか見直さないといけません。心で私たちがどんな人なのかが判断せれます。 イエス様が仰った通りですよ。 「あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである」 テクノロジーが盛んになった今では、私たちは日々、携帯端末やPC、テレビなどを通して多くの情報を収集しますが、何が本当で何が嘘なのかわからなくなる事もあるはずです。 また、何を覚え、実践すればいいのかも定かではない近代社会の時代です。そんな中、唯一書かれた当初から変わらず、何が起きても「滅びない言葉」があります。 それは、神様の御言葉です。 毎週水曜日、神様の子供たちが集まる集会が行われます。 そこでは、聖書や信仰について学べます。 夜7時からは、ユニバーサル教会中央の浜松市中区中央3-9-3 ビル1階 夜8時からは、ユニバーサル教会龍禅寺の浜松市中区龍禅寺町622 で参加できます。 詳しくは、080-3219-4360もしくは080-9725-1661