Categoria: メッセージ

9月7日、日の終わりの夜

9月7日水曜日、日の終わりの夜を行います。 最寄りのユニバーサルキリスト教会をここから探してぜひお越しください。 なぜこの集会に参加することが大切なのか あなたも特別な人に会おうと言われたことがあるでしょう。その時、自分がどれだけ喜んだのか覚えていますか?今日、神様があなたに会いたいとおっしゃっています。 昔、アダムとエバはその特権がありました。毎日夕暮れの頃になると神様が彼らがいたエデンの園に降りて彼らと話していました。これが神様のあなたに対する望みです。あなたと「今日一日どうだった?」や「今日新しく学んだことは?」という風に話し、あなたを教えたい、導きたいと思っておられるのです。アダムとエバと昔していたように、今でも神様はあなたと同じことがしたいのです。ただあなたの隣で歩くだけではなく、あなたの中に住みた糸望んでおられます。 これはただ一つの日であって、これは主に知らされている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。ゼカリヤ書 14:7 もしかしたら、あなたは神様のもとから離れてしまってこの交わりを失ったのかもしれません。しかし、今日は神様があなたが戻るために与えられたチャンスです。 神様との出会いはクリスチャンの歩みの中で必要不可欠なことです。まだこの出会いがないのであれば、必ず休まずにお越しください。神様はこの日をあなたと出会うために設けられたからです。 今日、15時または20時30分にお越しください。お待ちしております。

必要な糧の日曜日で行われる初物の収穫祭にご参加ください。

8月7日に集会が行われます。 聖書では「主よ、ごらんください。あなたがわたしに賜わった地の実の初物を、いま携えてきました』。そしてあなたはそれをあなたの神、主の前に置いて、あなたの神、主の前に礼拝し、」と申命記 26:10に書かれてます。 なぜこれは大切なのか 上記の読み上げていくと、御言葉により私たちの有形財は神様から与えられたと省みることができます。人は神様に授けられ、感謝します。そして御葬式のような辛い時でも、忠実で初物には手を入れませんでした。同じように私たちも神様のものとは正しく接する必要があります。 今週の日曜日、8月7日は初物の日曜日であり、必要な糧の第一回目の集会が行われます。その為、パンと水、それからあなたの初物を用意してユニバーサル教会へお越しください。そして私たちは「主よ、あなたが約束したようにあなたの民たち祝福させてください」と祈ります。集会の時間帯は7時、9時30分と18時。 浜松市本部にて、または最寄りのユニバーサルをお探しください。

チャンスの夜

本日、水曜日、全国のユニバーサルキリスト教会で「チャンスの夜」が行われます。 人は大概、死後と自分の霊的な状態について気にしていません。通常、日々の課題をいかに熟すか、解決しないといけない問題や、この世に関する事柄ばかり気にして生きていますが、早かれ遅かれ、人は、自分の魂の「行き先」という現実と向き合わなければいけない時を迎えます。だからこそ、あなたを本日行われる特別な集会へ招待します。 「主を求めよ。お会いできる間に、近くおられるうちに、呼び求めよ。」イザヤ書55:6 教会本部 浜松市中区北寺島町211-19

書かれてあります!

「さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、」ルカ書4:1 水の洗礼を受けた主イエスは、聖霊様で満たされました。そのあとすぐ、聖霊様自らイエス様を荒野に連れて行き、そこで悪魔に誘惑されます。砂漠でイエス様は、サタンに対抗するため、御言葉を使って、「書かれている!」と答えました。イエス様は誘惑が来るたび、そうしていき、敵である悪に圧勝していきました。

「炎の日曜日」と聖餐式

努力の成果は誰だって見たいと思うもの。勉学、仕事、投資、そして、信仰の成果は見たいものです。では、その「成果」がない時、どうするべきなのでしょうか? 努力や人としてできる事以上にしないといけない時はあります。 超自然的な信仰が使われた時だけ解決されると証明される為に預言者エリヤも神様につかわれました(列王記上18章を参照)。 この時、神様は炎を送って民に答えました。 7月10日、日曜日、「炎の日曜日」が聖餐式と共に行われます。 参加して、神様との挑戦をして、成果を得ましょう。 進行と奇跡の集会 浜松市中区北寺島町211-19 7時・9時30分・15時・18時 全国のユニバーサルキリスト教会で行われます

こころの意見

「自分の心にたよる者は愚かな者、知恵をもって歩む者は救われる。」箴言28:26 多くの人が信仰に陥る理由は、紛れもなく、こころの意見をうのみにしてしまう愚かさです。 大概、信仰を持たない人だけが心の言うことに従って生きると思いがちですが、そうではありません。福音を延べ伝える中で見られる多くの「失態」は、自分の気持ち・力・正義感・助言・感情を信頼してしまう人から始まるものです。 欲を愛しすぎてしまうのも、特別扱いされたい、立場を良くしたい、肉欲を満たしたいと思うのも全て心から来ものです… 果たして、私たち本当に「人の心は何よりも陰険で、それは直らない」という聖書の言葉を信じているのでしょうか?思慮深いクリスチャンより、浅はかなクリスチャンを見かけることが増えているのではないでしょうか? 教会に通う人より、さまよう人の方が多いのではないのでしょうか? 自分たちの人生の証(生き方)は多くを語るのです。