Categoria: メッセージ

学んでください、そして1度きりであなたの人生を変えてください

今週の月曜日(13日)の賢さと信仰の番組で、カルドーゾ・レナト監督牧師は話されました。特に決断を取ることが困難な人々のために、やる必要のあると知っていて、いつも持ち越している、延期している人々のために話されました。 レナト監督牧師によれば、おそらくこの優柔不断が、多くの人々の人生で失敗を起こす原因となっています。彼らは決断しません、行動しません、それだから前に進まないです。 「なぜならばすべての上達には、少なくても1つの決断がないといけません。わたしたちは毎日、大きくても、小さくても決断を取るべきです。また多くの場合、人生の変化は大きな決断から来るものでもないですが、小さな決断の合計から、徐々に来るものです。」と説明します。 監督牧師によれば、どのように決断することは起こるのか、そしてなぜ多くの人々は決断を取るのに、困難になるのかを、人々が理解することは非常に重要なことです。だからすべてを話し始める前に、この言葉の起源を理解する必要があります。決断は「分裂」から、つまり何かを裂くことからきました。よって決断は何かのものごとを、裂くことを意味して、まさにそれが決断を取るときに行うことです。 決断は損失を巻き込みます 「すべての決断は少なくとも、1つの損失を巻き込みます。そこに人々の大きな問題があります。なぜなら人間は一般的な傾向として、損失を好みません。この理由で、多くの場合、決断することを妨げられます。なぜならば損失への恐怖が食い止め、遅らせることを試します。そして『でもわたしは2つのことを、同時に持つことはできないですか?』と考えさせます。よってこの損失への恐怖、つまり手放すこと、明日には持っていないこと、この後悔するという恐怖が人々に、人生で取る必要のある重要な決断を、延期させます。」と強調します。 監督牧師は付け加えて、まだ損失への恐怖が、人々に手に入れさせないようにしています。なぜならば手に入れるために人は、自分の中で損失のための持ち前を必要とします。また本当は、多くの場合、人々はその仕打ちを受けたくない、それであの優柔不断になります。「行くか、行かないか」、「やるか、やらないか」そして時間が過ぎて、その人の人生は変わらない... したがって、手に入れるために損失と和解する必要があり、できる限り早くあなたはそれを行えば、人生はより早く変わります。 「まあ、そのときに信仰を見せます。なぜならばあなたは犠牲を行うとき、別の言葉を使えば損失は、それでも賢い損失です。すべては決断を取るときに、わたしたちがやろうとすることです。」と説明されました。 信仰の全身硬直にならないでください つまり、決断において、犠牲もまた1つの交換です。一方で損失しますが、他方で手に入れます。犠牲をするとき、それは、はるかに価値がある何かを、受け取ると信じているからです。しかしものごとに執着する人々、損失への恐怖を持つ人々は、犠牲をしません、未定のままにして、立ち止まった人生を送ります。 レナト監督牧師は聖書の話で、預言者エリヤの話「イスラエルの民に当てはまります。なぜならば彼らはイスラエルの神様とバアルの間で、分かれていました。あるときは神様を信じると言った、あるときはバアルを信じると言った。」を例えとして引用しました。 「そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、『あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい』。民はひと言も彼に答えなかった。」列王紀上18:21 「こうしてたくさんの人は信仰の全身硬直、決断しないから縛られた人生になります。いつまであなたは、人生で走る代わりに、足を引きずっていますか?人生で決断を取る、理解を開く、損失の恐怖を持つのをやめる、なぜなら損失の恐怖は、あなたが手に入れることをさせません!」と監督牧師は言いました。

神様の創造した事のすべての目的

すべて、神様の創造した事のすべては絶対的に、同じ目的を持っています。その存在で彼に仕えて、彼の栄光を称える事です。 それを理解する人間の夢は、同じようにする事です!つまり人生のすべての日々で、彼に仕えて、彼の栄光を称える特権を持つ事です。

幸せな関係のための21の戒め

愛の作者から遠ざからない 日常会話を忘れない 相棒を頼りにする 危険な関係を持たない 関係を優先にするためにすべての物とすべての事を退ける 相棒を悪く扱わない 元のようになにも放り込まない 小さなことでも軽視しない 結婚指輪を敬う 相棒を親しく分かり合う 親密さと後押しを持つ 心地よさを自分だけに持ってこない 寝床を誰かと汚さない 生まれつきの性格を支配する 相棒を誰かと比較しない あなたのお金を相棒のお金としても見る 関係を良くしておくために自分自身に気をつかう 一緒に繁栄する 神様を裁判官、仲裁人、立法者として持つ 財政を支配する 目標、最終地点に目を向け続ける 賢い愛を学びにきてください。毎週木曜日、愛のセラピーで行われます。

12月12日: 聖書の日

この12月12日に「聖書の日」を祝いました。それは全世界でより多く売られた本です。またそれが少なくないから、神聖な本は人間に向けられた、神様自らの御言葉です。それを通して、いと高き方の御心、偉大さを知ることは可能です。 神様の御言葉は毎日読まれるべきです。なぜならそれが人間の道を照らします。次の箇所を見てください。 「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。 」(詩篇119:105) エジル・マセド監督牧師の注釈がある、Bíblia Fielの訳では「危険と暗闇でいっぱいの世で、わたしたちは生きていますが、神様の御言葉は案内役として、ともしびの機能を引き受けます。」と書いてあります。 監督牧師によれば、神様の御言葉を毎日瞑想することは、人間に大きな利益をもたらします。 「御言葉を瞑想して、それに合わせて生きる人は、信仰から決してはずれないです。それでも彼の助言を無視して、自分の道を進むことを決断する人は、問題に関与すること以外にも、救いを失う危険性があります。」と監督牧師と断言します。 瞑想してください すべての人間が神様とのつながりを望むこと、彼の御言葉を瞑想することは重要なことです。それは夫婦がお互いを知り合うことに専念すべきことのように、1つの関係のようです。神様に近づくことを望む人は、彼の御言葉に浸かるべきで、彼の御心はなにかを、より深く知るところまで行なうべきです。 聖書の読書のやり方 明らかに、章を1日中読んで過ごす必要はないですが、この瞑想を毎日の行いとすることは、神様の御声を聞くためにこと足ります。いくつかの洞察は、それでも聖書の読書中に行われるべきです。 最初に、文脈から節を取り去ることは、できないことを理解する、必要があります。なぜならばそれが本当にその文章が、言いたかったことに誤解を生みだすことがあります。それから学んだことに適用する方法について、考える必要があります。なぜなら「瞑想する」は読むだけではなくて、自分にその教えを持ってくることです。人生で使うために知ることです。同様に聖書の読書は他の要因にも付いてくる必要があります。それは教会の礼拝に出席する頻度とお祈りの実現の頻度のようなことです。 最後に読書を行っていない場合はできるだけ早く始めてください!あなたはそれがどのくらい人生を変化させるのかを見られます。

命の水

「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」(ヨハネによる福音書4:14) 人が聖霊様によって洗礼を受けて、印をつけられたとき、嘆きと苦情、泣き言ではなく、その人の内に命が流れなる義務があります。人が聖霊様を持つとき、その人はつねに与えるためになにかを持っていて、なぜなら神様の御霊が内にいるからです。 もしあなたが聖霊様を持っていると言っても、人生が閉ざされてる、縛りつけられているなら、あなたはそこになにかの間違いがあります。人が聖霊様を持つとき、彼は空っぽで、嘆かわしい人となることは不可能です。もしくはいつも文句を言っている人や、他人に不幸と問題を伝える誰かでもないです。聖霊様を持つ人は命があります。 神様はマラキ書3:18で「その時あなたがたは、再び義人と悪人、神に仕える者と、仕えない者との区別を知るようになる。」と約束しました。だからこの区別がないといけないです。なぜなら彼が「わたしを信じる者の内側から、生ける水の川が流れ出る」と言ったようにです。あなたにどの川を流れていますか?霊的な人生であなたはなにをしますか? もし誰かが「くだらないこと」を言って、彼の話題はこの世のこととファッション、アーティスト、ドラマ、映画について言うなら、その人が空っぽだからです。聖霊様でいっぱいの人は神様の御言葉で溢れます。 誰かが疑いを伝える、またはいつも泣いていて落胆しているとき、彼は聖霊様を持っていないです。彼は牧師、監督牧師、伝道師、宣教師の服までを持っていてもいいですし、これらのまたはある肩書があってもいいですが、聖霊様を持っていないなら死の源です。 あなたが行う必要のあることは聖霊様を求めること、お祈りをして彼に委ねることです。なぜなら誰もあなたのために、それを行えないからです。神様の全部に持つために、あなたの全部を委ねる必要があります。神様はあなたの人生で、1 番目にいないといけません。

あなたの人生を導く信仰とは?

しっかりとした信仰を持っていると思う人は、考えて行動するのではなく、感じるがままに動いたとき、さまよってしまいます。賢い信仰を使って生きるには感情と思考を分けられるようにならないといけません。そして、御言葉に従うには瞑想をしないといけません。 10月31日・日曜日の集会でマセド監督牧師は、私たちの人生をその信仰を導かないといけないのか話されました。「イエス様の言った言葉だけを従わないといけません。私たちが感じるもの、見るもの、触るものでは関係ありません。(御言葉に)書かれている言葉は状況関係なく、果たされます。(イエス様)を信じていればふさわしくなり、信じなければふさわしくなくなる…重要なのは信仰です。主がここにいると信じているのはそう約束されているからでこの信仰が私の人生を導いています。」 続いて監督は悪魔が疑問を利用すると説明し、さらに衰えている信仰のサインでもあるそういった考えに隙を与えてはいけないと注意しました。「今まであなたが失敗してきたのは疑問を抱えているから。実際にさまよったのはその疑問に促されたからです。疑問は悪魔の武器。この武器は恐怖、不安、人を弱らせ、もろく、弱く、貧弱で騙し、思い込ませます。」 こころx確信 悪魔は人のこころに疑問が芽生えれば、霊的に攻撃されやすくなると知っていますが、賢い信仰は持つ者の自信になる確信です。 「何か感じるのがこころ。こころが喜んで・痛みを感じて・悲しんで傷つく。こころは私たちの中にあって、感情を使って騙すものです…信仰はこころ(感情)とは全く別のもの。思考を使う信仰は賢い。個人的には神様の存在を“感じません”。特に何も感じないです。信仰は何かを感じる、感じない、の話ではなく、確かな確信です。」と監督は付け加えました。 さらに:「信仰を使わないといけません。私たちは信仰を使うように教えていますが、実際に使うかはあなた次第です。感じることと信じていることを分別して、信仰から感情を別けましょう。聖霊様は私たちに何か感じさせるわけではなく、神様が味方だと確信させてくれます。神様と自分に対する確信をくれます。他人やこの世の幻ではなく、自分への自信をくれます。」 あなたはどっちですか?