悪魔は何故わざわざ“嘘”を使うのでしょうか?
嘘は悪魔の特別な“武器”。主イエスも言われました:「…彼(悪魔)は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。」ヨハネ書8:44 悪魔は人を騙し、破壊する為に嘘を武器として使います。悪魔は、真理である神様とは真逆の存在です。主イエスは道であり、真理であり、命です(ヨハネ書14:6)。そして悪魔はどん底・嘘・死です。 ではなぜ、悪魔はわざわざこの“武器”を使うのでしょうか? 敵に立ち向かうときは通常、一番攻撃力のある武器を使うものです。そして、人は真実よりも嘘を信じてしまいがちです。 “人は嘘を信じてしまう” つまり、あまりにも良い話だと人は疑ってしまいます。不審に思ってしまいます。中には“見てみないと信じられない”という人もいます。 “出来すぎた話”と言いますが、逆に“嫌すぎて嘘だとは思えない”なんて言う人はいません。やはり、人は嘘が大きければ大きいほど、信ぴょう性を感じるという事です。 しかし聖書にはこう書かれています。「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」ヨハネ書3:20-21 真理を行う人は恐れるものはなく、はっきりしていて、隠し事をしません。しかし悪を行う人は、自分たちの悪い行いを隠す闇を好みます。 例えばフェイクニュースも同じ仕組み: 真実かもわからないまま嘘を無責任にシェアするものです。 真実を行いなさい 全てを疑うような人になるのではなく、今の世の中はいろんな人が好きな“演技”をみせる劇上のようなものだと理解しないといけません。 神様の御言葉に従う人として私たちは真理を行う必要がありますが、何よりも悪魔が提案してくる嘘を受け入れない為に注意しないといけません。
彼らにふさわしくないこの世(へブル人への手紙11:38)
不法にも、私物を一切所持しないまま、妻・子を強制的に残して、強制送還されたアンゴラにあるユニバーサルキリスト教会の牧師らがブラジルに着陸しました。 彼らはサンパウロ州、グアルーリョスの空港でマセド監督牧師と複数の牧師、伝道師やユニバーサルのメンバーに迎えられました。 提供: ユニバーサルキリスト教会
最後まで耐えるにはどうするべきなのか?
「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。わたしに答えてください。律法の下にいたいと思っている人たち、あなたがたは、律法の言うことに耳を貸さないのですか。」ガラテヤ人への手紙4章19-21節 ガラテヤのクリスチャンはモーセの律法の下で生きていたにも関わらず、信仰が薄れ、昔の悪い習慣に戻っていたので使徒パウロは彼らに失望していました。だからこそパウロは彼らに忠告をし、再び真の信仰へ目覚めさせるために手紙を書きました。 ガラテヤのクリスチャンは元々主イエスへの信仰だけもって始めていました。しかし時間が経つにつれ、徐々に賢い信仰から宗教的な信仰へと関心を変えて行ってしまいました。 真の信仰を怠ることが無いように イエス様は律法の教えを実行し続け、慈悲、義と信仰を怠ってはいけないとも言いました。 「アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。ところで、女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした。」ガラテヤ人への手紙4章22,23節 神様から生まれた人は霊的な考え持ちながら生きていきます。つまり、神様の御心通りに生きていくために肉の欲のまま、思うがままな生きかたを捨てるということです。使徒パウロがガラテヤの人々に伝えようとしていたのは、彼らが罰のためではなく、慈悲・赦し・変化・救いのために罰から出て行ったということでした。 聖霊様を受けたのなら救いの喜びを感じ、赦してもらい、その血(犠牲)で贖われたので平和もあり、神様のために聖別されたはず。では、その賢い信仰を手放してまで恨んだり、勝手な判断をして人を裁いたり、悪と関わる価値はあるのでしょうか? 聖霊様: 最も偉大な約束 ここでの「奴隷」という言葉は、肉・本性に従って生きていく人を指しています。その一方で「自由な身」から生まれた者は約束によって生まれていて、聖霊様を受け、神様から生まれ変わった人を意味しています。 これは元は信仰を使って生きていて、御業の一員だったにもかかわらず、今となっては御言葉と矛盾してる生き方をする人が多くいる理由です。こういった人々はイエスキリストの“十字架”の敵となり、信仰を捨ててしまっています。 「これには、別の意味が隠されています。すなわち、この二人の女とは二つの契約を表しています。子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約を表していて、これがハガルです。このハガルは、アラビアではシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、その子供たちと共に奴隷となっているからです。他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。なぜなら、次のように書いてあるからです。「喜べ、子を産まない不妊の女よ、喜びの声をあげて叫べ、産みの苦しみを知らない女よ。一人取り残された女が夫ある女よりも、多くの子を産むから。」ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、“霊”によって生まれた者を迫害したように、今も同じようなことが行われています。」ガラテヤ人への手紙4章24-29節 神様から新しく生まれ変わった人は最後まで耐え抜く イシュマエルがイサクを追い、イシュマエルから生まれた民が今でもイサクの子孫、つまりユダヤ人を迫害し続けているのと同じように、神様から新しく生まれ変わった人も迫害されます。 すなわち、肉に従って生きていく人は霊的なこと実行したいはずがないので、霊的な人を迫害し続けます。自分たちの意思を突き通そうとして、好き勝手に使えようとします。だからこそ神様の国は規律・正義・慈悲・信仰で成り立っているので最後まで絶えることができないのです。 「しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである」と書いてあります。要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。」ガラテヤ人への手紙4章30,31節 御言葉自体が聖霊様から生まれた人は早かれ遅かれ、いつかは必ず追い出されると言っています。教会が追い出すのではなく、“毒麦”だからこそ出て行くのです。 また、霊的にみた母、エルサレムの子、聖霊様を受けた人は、自由の身であり、永遠に堪えぬき、決して汚され、道を外すことがないとも言えます。 最後まで耐え抜くには神様から新しく生まれ変わり、聖霊様を受けないといけません。 皆さん、毎週水曜日行われている“賢い信仰の学校”に参加して、信じる力・信仰を通じて、新しい道を進みましょう。 詳しい時間や住所は、080-9725-1661 で確認できます。
小羊の婚宴
神はなぜあなたと結婚を望んでいるのか? 人がお互いに結婚しようと決めるのは、生涯を共にしたいと思い、誓いを交わし、責任をもつものです。 結婚とはつまり、生涯を共に生きていきたいという確信と相互に尽くし合うことです。 しかし、現代結婚は、聖書に書かれている「モデル」と矛盾してきています。人々はこの祝いを「美化・ロマンチック」なものにしています。花嫁のドレス・披露宴・出される飲食・会場などを重視しすぎて、祭壇をないがしろにしてエキゾチックな場所で式を挙げています。そうして、結婚の本当の意味への焦点を見失っています。 ➤ 結婚するとき、人はなぜ祭壇を避けて(遠ざかって・逃げて)いるのでしょうか? それは、祭壇には重要な「意味」があると人は知っているからです。神を結婚式の「承認」にするということは、約束を守る・責任・けじめも一緒にかけているのと同じことです。つまり、ロマンスとは無関係で、自分の言葉に責任を持ち、「どんな時でも」生涯相手のために犠牲を行い続けることなのに、人々はこの「死がふたりを分かつまで」の永遠を誓って結婚するのを嫌がっています。その多くは、「どんな」状況でも一緒にいてくれる相手が欲しいと思いながらも「時(生涯)」はどうでもいいと思っているのが現実です。 家族崩壊という現象がその反映です。多くの人は、結婚というれっきとした言葉を守る「約束」を嫌がるせいで、「誓い」がもつ本来の意味を嫌っています。 ➤ 神との誓い 「誓い」とは言葉を交わすことから来ています。誰かと約束の言葉がある以上、最善を尽くして果たさないといけません。約束を守る人は発言を撤回はしません。だからこそ約束するときは慎重に考えてからします。 神も一緒です。聖書でイエス様が花婿で教会が花嫁だと書かれているのは、神が私たちと結びたい約束を表しています。主イエスは、婿が嫁を責任持って受け入れるのと同じようにあなたを受け入れたいと言うことです。 男性が女性と結婚すると、その女性(とその両親)に彼女を守り、両親と一緒にいた頃にあったもの少なくとも与えると言っているのと同じことです。つまり、「妻」となった女性の責任を取るのは「夫」になったということです。 イエス様も教会の為にしたことです。イエス様は「花嫁・嫁・私たち」を救うために自ら命を捧げました。イエス様は十字架で死から私たちを守るために命を捧げました。だから私たちの命はイエス様の責任です。 ➤ 書かれている通り 「わたしが備えているその日に彼らはわたしにとって宝となると万軍の主は言われる。人が自分に仕える子を憐れむようにわたしは彼らを憐れむ。」マラキ書3章17節 言い換えれば、神と「結婚」すると、宝石のように接してくれて、いと高きお方の隠れ場所で守られるようになります。 ➤ 全てを委ねる 神との「結婚」はあなたの全て・完全に委ねる・約束・誠実さを表します。その「結婚」がうまくいくためなら犠牲を惜しまない ➤ その「結婚式」の為に準備を整えましょう 「わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。」黙示録19章7節 私たちもこの花嫁と同じように、8月23日・日曜日に行われる「小羊の婚宴」のために準備をしています。 結婚をする人はその日付を忘れることなく、その日を迎えるために日に日に自分を磨いていくものです。 あなたもこの日の為に準備をして、花婿を待ちましょう。 詳しくは、080-3219-4360 までSMSか、お電話ください。
